ゲンはお経を唱える

『はだしのゲン』

1945年(昭和20年)8月6日 朝、夏の日差しが照りつける中、国民学校の2年生だったゲンは学校に向かいます。
 午前8時15分、原爆投下。ちょうど校門の辺りに着いた時でした。
ゲンは目もくらむような閃光を浴び、爆風に吹き飛とばされ、
意識を失います。
幸い校門の陰にいたため大けがはありませんでした。
気付いた時には、家々はぺしゃんこにつぶれ、一面がれきとなった街を目の当たりにします。
何が起きたのか分からないまま、ゲンは急いで家族のもとへ向かいます。
街には傷ついた人や死体が溢ていました。
ゲンの家族は、爆風で倒壊した家の下敷となり、火災に巻込まれてしまいます。
ゲンの父、姉、弟は家の下敷となり、
ゲンと母の前で、見る見るうちに炎に包まれていきました。

       〈あの場面 この場面〉  

「君江、よーくきけっ。
おまえにはまだまだ母親の役目がのこっているぞ。
疎開に行っている昭、予科練の浩二、
それに・・・腹の中の赤ん坊を育てる役目があるぞ!」

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ゲンは仏さんにお経を唱える
「おねがいじゃ仏さん 友子さんをみつけてつかあさい。
かあちゃんがかわいそうじゃ。
たのみます たのみます」

「帰命無量寿如来 南無不可思議光」
                      (親鸞正信偈』より)

「それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、
おおよそはかなきものは、この世の始中終、
まぼろしのごとくなる一期なり。

朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり・・・」
                       (蓮如『御文』より)


戦後浮浪児が集められ、ゲンたちは孤児収容所に送られそうになった。
身寄りのない人に、“無理やり”「お父さん」になってもらい、
おかげで難を逃れたゲンたち。
その「お父さん」は、命をかけて原爆のひどさを小説に書き遺し、亡くなった。
ゲンたちは必死に働き、手に入らない”紙”を、
つてを頼って闇市から買い求めた。
費用の安い刑務所に“無理やり”依頼、小説「夏のおわり」を制作した。
刑務所経験のある孤児仲間の情報が役に立った。

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辛い時、いつも思い出すのは父の言葉
「元 麦じゃ・・・」