金沢泰子さんインタビュー(3)



読売新聞医療サイト「こころ元気塾」より、


金澤翔子さん母、書家・金沢泰子さんインタビュー(3)
           20歳で初個展…2000人が来場



――お稽古は厳しかったのですか。


 「友達作りのためだからと、ずっと優しく指導してきました。
でも、ある時から厳しくしました。
小学4年になった時、新しい担任の先生に、今でいう特別支援学校に行ってほしいと言われました。
普通学級で学び続けるのは難しいというのです。
新学期に胸をふくらませていただけに、障害があるとやっぱり普通ではいられないのだと、すごく落ち込みました」


 「そこで、学校を選ばないといけなくなりました。
時間ができたため、二人でその時間を埋めようと、約270字からなる般若心経を書かせようと決意しました。
この時はとても厳しく指導しました。
障害のある子は孤独の時間が多いだろう。
だから、それに耐えられるような強い子にしようと思ったのです。
般若心経を書くのは一人でもできますから。
学校を探している4、5か月間の間、毎日朝から夕方までずっと書き続けました」



 ――翔子さんが注目を集めたのはいつ頃ですか。


 「二十歳の時に開いた初めての個展です。
特別支援学校の高等部を卒業する18歳の時、作業所にいこうと思っていましたが、トラブルが起きて行けなくなりました。
この時も深く落ち込みました。
障害があると社会に出るのは難しいのだと。
ただ、作業所に行かないから時間ができました」


 「主人は、翔子が14歳だった時、心臓発作で亡くなりました。52歳。突然のことでした。
遺言はありませんでしたが、約束していたことがありました。
主人は生前、翔子は書道が上手だとよく言っていました。
二十歳になったら、翔子の書を中心にお披露目しようという話をしていました。ダウン症だけど、こんなに立派な字を書けるのですと。
そうした主人との約束が、個展を開いた理由です。
まさか人が認めてくれるとは思いませんでした。
場所は銀座。
生涯で一度だけと思っていましたが、2000人を超えるたくさんの人が見に来てくれました。
お客さん、泣くんですよ。
どこかで報道されたため、北海道や新潟など全国各地のダウン症の子をもつお母さんも来てくれました」


無心で書くから、感動を呼ぶ


 ――翔子さんの書はなぜ、人に感動を与えるのでしょうか。


 「技術的な問題ではありません。
テクニックでいえば、私の方がずっと上手です。
これは、魂レベルの話なのです。
みな、心が震えると言ってくれます。
翔子はうまく書こうという思いはありません。
ただ、私に喜んでほしい、みんなに喜んでほしいという思いだけで書きます。名誉を気にすることはないのです。
そのように無心で書くから感動を呼ぶのかもしれません」(続く)

                     (2012年1月28日 読売新聞)




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