よろこびが集ったよりも

郁代が病んでいるとき、旅立った時、
星野富弘さんの詩が、いつも温かく包んでくれました。


よろこびが集ったよりも
悲しみが集った方が
しあわせに近いような気がする   

強いものが集ったよりも
弱いものが集ったほうが
真実に近いような気がする

しあわせが集ったよりも
ふしあわせが集ったほうが
愛に近いような気がする                                              
                            星野富弘
                          
 

小菊
 
                                絵葉書 


☆急な事情により、しばらくブログの更新ができなくなりました。
 再開の節はよろしくお願いいたします。

「いのちって、ひかっとるん?」


隣の保育園の“つぶやき集”から


お喋りしていて
    「生まれ変わっても、この保育園に来たい!」               
                                        (5歳児)



   「先生、赤ちゃんほしい?じゃあ、ケンカしたらだめや。
    やさしくせんなん。
    仲良くしとったらいいよ。
    私のパパとママも仲良くしとったから私が生まれてんよ。
    やってみたら?」
                *とても素敵なアドバイスをいただきました(笑)               
                                         (4歳児)


医療ドラマを見ていて、突然、
  「おかあさん、いのちって、ひかっとるん?」
小さな疑問に、なんだかとっても感動しました。
                                        (5歳児)
                 ≪連絡帳より≫

子どもは授かるものです

マンサク


大谷大学教授 一楽 真先生の話

真宗の救い」

「子どもは育てるものではありません。授かるものです」
という授業中の先生のことばに感動しました。
生まれて初めて聞きました。

大学の前期試験の答案にこのように書いた学生さんがいました。
その学生さんにとっては、
今までの自分の考え方をひっくり返された衝撃があったのでしょう。
その驚きを先生に直接言うのは恥ずかしい、でも伝えたいという思いで答案用紙に書かれたのだと思います。

感動を伝えたい、分かち合いたいという こころの動きは腰の重い私に行動を起こさせます。
その感動は大切にしてほしいなと思います。

でもわたしは、学生さんの告白をうれしく思うよりも、
「“子どもを授かる”という表現を今まで一度も聞いたことがなかった」
という事実に驚きました。

今日では「子どもを授かる」とは言わないし、聞くこともないのでしょうか。

最近は「子どもを欲しい、欲しくない」
「子どもをいる、いらない」
という言い方をよく耳にします。
『子どもを作ることは行為あってのことだから、その表現があっている。
「授かる」なんて偽善だ』と言われたことがあります。

だから「欲しい・いる」と言う人は、子どもが生まれた事実に満足してしまう。
「欲しくなかった・いらない」と言う人は、子どもを邪魔者扱いしてしまう。
結局はどちらも自分を苦しめてしまう。そして子どもも。

「授かり」の事実は、点ではなく線。
生まれたとき、幼くて可愛い頃、言うことを聞く頃だけの“点”でなく、私の生涯という“線”上を一緒に歩んでいく。

子どものことだけではない、人との出会いも、
自分の身に起こるあらゆる出来事も、
すべて授かりものですね。

あらゆる「授かり」の事実によって、私が存在する。
「思いのまま」にならないということではなく、
思いを超えたはたらきによって私ができていく。
「授かり」には、大切な意味があるはず。
そこに目をつぶらないでほしい。
点だけ見ていると、線が見えなくなってしまいます。

 “母さん 私を生んでくれてありがとう”

(再掲)

ふとしたことから知った、NHK特集まるごと(2013年3月11日)の番組内容、
「津波に濡(ぬ)れた手紙」が、心に沁みました。
抜粋です。

・・・・・
2年前の3月11日、町の職員だった娘の未希さんは、この庁舎から最後まで避難を呼びかけました。
遠藤未希さん(当時24歳)
“ただいま、当町に大津波警報が発令されました。
最大6メートルが予想されますので、急いで高台へ避難してください。”

多くの命が救われましたが、未希さんは帰らぬ人になりました。
震災後、未希さんがいた庁舎の周囲で、必死に娘の面影を探す美恵子さんの姿がありました。

踏み出す一歩を探し続けてきた美恵子さん。
ボランティアたちが自宅に来るようになったあとの去年(2012年)10月。
整理をしていたときに、あるものを見つけました。
未希さんが、未希さん自身にあてて書いた手紙です。

遠藤美恵子さん
「全然こういうものがあるのも分からず、このまま整理しなければ見つけていなかったんで。」

津波でにじんだ手紙。
20歳になった誕生日に、書かれたものです。
これから社会に出る自分にあてた言葉が並んでいました。

   “あなたも今日から20歳だよ。
    いつまでも輝く笑顔を失わず、素敵な女性へと成長してください。
    夢を持ち続け前進し、前向きに。”

明るい、娘らしい言葉に、胸を打たれていた時、ふと手紙を開くと思わぬ言葉がつづられていました。


     “人生って楽しいことばかりじゃないけれど、苦しいことやつらいことを乗り越えて
     ほっとしたときにいつも心に浮かぶのはこの一言です。
    母さん、私を生んでくれてありがとう”


遠藤美恵子さん

「母さん、私を生んでくれてありがとう。」

娘の心は、津波にも消えることはなく、母に届きました。
遠藤美恵子さん
「未希は、私から生まれて本当によかったって思ってるのが、初めて分かった。
自分を責めてたのが、これを読んで本当に少しだけど、気持ちが軽くなって。」
・・・・・

はるのかぜ 


孫のSちゃんの通った保育園では、
まどみちおさんの詩”を、卒園式に一人ひとりが暗唱していました。
Sちゃんの発表した詩は、「はるのかぜ」でした。
     

    はるのかぜ          
                   まどみちお


    わたしのほほに きてさわる  
    やさしいかぜの ゆびさきに 
    はなのにおいが しみている
    ああ おかあさん もうきてる  
    いつかのおかに  あのみちに  
    はる はる はるが もうきてる

    わたしのみみに きてならす  
    やさしいかぜの おんがくに  
    ことりのうたが ながれてる
    ああ おねえさん もうきてる  
    いつかのかわに あのきしに  
    はる はる はるが もうきてる

    わたしのまどを きてみがく  
    やさしいかぜの ハンカチに  
    きんのひかりが はねている
    ああ おとうさん もうきてる  
    いつかのやまに あのそらに  
    はる はる はるが もうきてる

Sちゃんは、可愛がってくれていた郁ちゃんに
国際電話でこの詩を暗唱していたね。得意そうに・・・。

この年の暮れ、帰国したとき、
あなたは体調の違和感を訴えたのでした。

郁ちゃん
Sちゃんはあなたの通った高校に通学しはや3年、無事卒業式を迎えましたよ。

いつもみんなを見守ってくれて有難う。

彼らは命令しないのです

近くの鎮守の森

〈折々のことば〉  327     鷲田清一

彼らは命令しないのです。

            半藤一利

1944年秋、零戦で敵艦に体当たりして散る特攻作戦が軍令部で起案された。
ある幹部が航空隊副長を言いくるめるため、
副長に任せるという上官の架空の意思を伝えると、
副長は上官が承知しているならと同意した。

そしてそれは「澎湃(ほうはい)として下からの熱意に」よるとされた。
誰も責任をとろうとしない体制は以後もずっと「志願」という形をとった。
作家の「昭和史」から。
                           2016・3・2

渡辺のおっちゃん


宛名は
〇〇の〇〇市〇〇公園、そして公園の絵地図、
テントの絵とおっちゃんの似顔絵を描き、
“渡辺のおっちゃん”と書いて手紙を出したかっこちゃん。
このお話しが大好きです。
なんと、おっちゃんに手紙が届いていたのです。

渡辺のおっちゃんの話
                   山元加津子

このごろはお手紙を書くことも少なくなってしまったけれど、
昔、すごく心に残るお手紙をいただいたことがあるのです。

最初は、郵便受けの中の手紙の差出人のお名前を見ても、
なんのことかわかりませんでした。

いったいどなただったろう、それにしても不思議な肩書き・・
そう思って文字をしばらく眺めていて思い出したのです。
その方の肩書きは「公園のおっちゃん」というのでした。

その方とお会いしたのは、関西へ出かけたときでした。

その日は雪の降る日でした。
講演会場は駅から歩いて5分と聞いていたのに、
歩いても歩いてもそこにはつきませんでした。

道はあってるようなのに、地図だって見てるのに、
もう40分も歩いたのに・・
と不安になっていながらも、まだ2時間もあるからと
それほどあわててはいませんでした。
けれど・・・

(5分のところをタクシーに連れていっていただくのは申し訳ないって思ったのは 間違いだったかもしれない・・
タクシーの運転手さんだったら、きっとすぐにわかったのに)
とため息まじりに考えだしていたところでした。

関西って雪の少ないところだと思っていて、
おまけに小松では晴れていたのです。
だからコートもなしで傘ももっていませんでした。

主催者の方に書いていただいた地図に載っている公園をみつけました。
うれしくて、その中を走るようにいそいでいたら、
途中ですべってころんでしまいました。

ころぶのは慣れているけれど、たった一人、見知らぬ土地に来て、
講演会場になかなかつかないし、
お洋服もどろどろだし、髪もぬれちゃったし、
こんな格好でたくさんの方の前に出なくちゃいけないんだと思ったら、
自分でもびっくりするくらい急にわきあがるように悲しくなって、
近くのベンチに座って、ちょっと泣きました。

その方にお会いしたのはそのベンチででした。

「痛かったんか?」

さっきまで確かに私の横には誰も座っておられなかったはずなのに・・
その方はいつのまにかそこに座っておられました。
その方はきっと公園の中のテントに暮らしておられる方なのだと、
そのとき私はなぜだか思いました。

「痛かったんか」の問いにうんと小さくうなずくと、
何か口の中でおっしゃたのだけど、私には聞き取れませんでした。
その方はじっと下を向いておられて、私はなにを話そうかと思いました。
そして道を聞きました。

「〇〇ホールというのはどこにあるのでしょう?」

その方は首を傾げて
「おっちゃんはわからんわ」っておっしゃいました。

わからんわとおっしゃったけれど、とても温かく、
わからないことがとても残念そうに言ってくださったので、
さっきまでちょっとだけ泣いていたことがうそのように
うれしくなりました。

「駅から5分って書いてあるのだけど、もうすごくたくさん歩いたの・・」
「そうか・そうか・・・」
“おっちゃん”はやっぱりとてもやさしかったです。

どうしてポケットを探しておられるのかなと思ったら、
ポケットから飴を出してくださいました。
きっと大事にずっと持っておられた飴なのだと思います。
飴の包み紙が飴にくっついていて、
食べたとき、「あれ?」って思いました。

「ナイロンくっついとったか?なめとればとれるよ」と
“おっちゃん”は教えてくれました。

「ほんとう・・」
とてもきれいにナイロンはおもしろいようにはがれました。

大きな甘露飴みたいな飴はとても甘くて、ほっとしました。
その方のことをどう呼んでいいかわからなくて、
「なんてお呼びしたらいいですか?」とお聞きしたら、
「おっちゃんでいいよ」とおっしゃいました。

でも“おっちゃん”っていう呼び名に
こちらにいてなれていなくてためらっていたら、
「渡辺っていう名前やった・・しばらく使ったことがなかったな」
と言われました。

「私、6時までにどうしてもそこへ行かなくちゃいけないんです。
渡辺さんありがとうございました」
立ち上がろうとしたら、
「ちょっと待って・・」と“おっちゃん”は傘を貸してくださいました。
「でも私、ここにすんでいないから返せないかもしれないんです」

“おっちゃん”は、
「たくさんあるからいいよ。それとも骨が曲がっていて恥ずかしいか?」
と言ってくださいました。確かに骨は曲がっていたけど、
その傘は雪をよけるには十分すぎるほどでした。

「じゃあ返しにきます」と言ったのに、
「いいよ、あげるよ」と言ってくださったので、
私はそれをいただくことにしたのです。

公園を出て、地図を頼りに歩いたらそれからしばらくして、
そのホールはありました。
まだたったばかりの真新しいホールでした。

主催者の方が私のぬれていたり、
泥だらけだったりするかっこうを見てびっくりされたようでした。
それから
「ちょっと遠かったでしょう?ここ、できたばかりなので、
私たちも初めてきたので、遠くてびっくりしてたんです」
と言われました。


家に帰ってから、でも“おっちゃん”のことは何度も思い出しました。
それでお礼のお手紙を書きたいと思いました。

前にも大阪駅で、お世話になった方で、
やっぱり住所をもっておられない
段ボールのおうちにすんでおられた方にお手紙を出したとき、
手紙は「宛先不明」で戻ってきてしまいました。

でも今度は名字も知っているので、
郵便局の方に申し訳ないなあと思いながら、
またお手紙を書きました。

宛名のところには、〇〇の〇〇市〇〇公園と書いて、
それから公園の絵地図を書いて、
テントの絵もかいて、おっちゃんの似顔絵も描いて、
“渡辺のおっちゃん”と書きました。

その手紙は何日たってももどってきませんでした。
最初は私の手紙どうなったかな?って
何かの折りに思い出したりしていたけど、
でもきっとついてはないだろうなって昨日まで思っていました。
その手紙を出して、もう2年以上たっていました。
私はその手紙を出したことさえすっかり忘れていたのでした。

ところが昨日いただいた手紙は
“渡辺のおっちゃん”からのものだったのです。
手紙は届いていたのです。
郵便やさんが、私が書いた、宛名と地図で、
“おっちゃん”を探してくださったのです。

こんな手紙を出したと書くと郵便局の方や、
それからどなたかに叱られてしまいそうです。
だって、とても迷惑をおかけしますもの。
でもお手紙、出したかったのです。

親切な郵便やさんに今日はお礼を言いたいです。
本当にありがとうございました。

“おっちゃん”は

「げんきですか?てがみをくれておどろきました。
 しんせつなゆうびんやさんが、
 渡辺さんというひとはいませんかとたずねてもってきてくれました。
 さいしょはおっちゃんのことかどうかわからなかったけれど、
 えでかいたちずで、
 おっちゃんのことだとわかりました。
 うれしくてなかまにもみせました。
 へんじがかけるとはおもいませんでした。
 けれど、かくことができました。
 げんきでいてください。こうえんのおっちゃんより」

これは原文のままです。
宝物のようなお手紙がこうしてお返事で帰ってくるなんて、
私、うれしくて、うれしくて、
信じられないくらいうれしくてたまりません。

思い出したくないと思っていたことも、
本当は“おっちゃん”に会うことができるために、
それから住所を見て、
届くはずがないだろうなんて思わずに探してくださった
郵便やさんのことを知ることができるために、
みんなあったのかなと、
あんなふうに考えてしまったことをやっぱり恥ずかしく思います。

そして、考えたら、毎日届けていただいているお手紙も、
郵便やさんが心をこめて届けてくださってるのだと改めてありがたく思いました。

それから2年間も私のことを覚えていてくださった渡辺のおっちゃん、
本当にうれしかったです。

私はそれからもよく
「渡辺のおっちゃん」どうしておられるかなあってよく考えます。
そして考えるたびに、
うれしかったことを思い出して元気が出るのです。

この空の下で、時間を越えて場所を越えて、
たまたま出会うことができるということは、
本当に大きな贈り物ですね。

私たちはバラバラに生きているけれど、
糸がどこかで二本結び目ができたみたいにして、
出会って、またバラバラに生きていく。
でも、その結び目はどんな出会いであっても
きっと大切な宝物に違いないと思うのです。