星野富弘

よろこびが集ったよりも

郁代が病んでいるとき、旅立った時、 星野富弘さんの詩が、いつも温かく包んでくれました。 よろこびが集ったよりも 悲しみが集った方が しあわせに近いような気がする 強いものが集ったよりも 弱いものが集ったほうが 真実に近いような気がするしあわせが集…

どこまでも見捨てないこの母の姿

神様がたった一度だけ この腕を動かして下さるとしたら 母の肩をたたかせてもらおう 風に揺れるぺんぺん草の実を見ていたら そんな日が本当に来るような気がした (星野富弘・ぺんぺん草)前回の夏季公開仏教講座「聞」は、 南砺市真教寺住職 馬川透師でした…

コスモス

コスモス 星野富弘風は見えない だけど木に吹けば 緑の風になり 花に吹けば 花の風になる今、私を過ぎていった風は どんな風に なったのだろう 妹のご主人が昨日79歳で急逝、心筋梗塞でした。郁ちゃん あなたをかわいがってくださったYおじさん、 あなた…

「代わってあげれなくてごめんね」

むらさきつゆくさの季節にはいつも思い出します。 「むらさきつゆくさ」 星野富弘 二番目に言いたいことしか 人には言えない 一番言いたいことが 言えないもどかしさに 耐えられないから 絵を書くのかもしれない うたをうたうのかもしれない それが言えるよ…

「れんぎょう」

ご近所を歩いていたら、 れんぎょうがきれいに咲いていました。 「れんぎょう」 星野富弘 わたしは傷を持っている でも その傷のところから あなたのやさしさがしみてくる郁ちゃん あなたの声となって聴こえてきました。

よろこびが集ったよりも

郁代が病んでいるとき、旅立った時、 星野富弘さんの詩が、いつも温かく包んでくれました。 よろこびが集ったよりも 悲しみが集った方が しあわせに近いような気がする 強いものが集ったよりも 弱いものが集ったほうが 真実に近いような気がするしあわせが集…

 コスモス

夕陽に照らされて 郁代が亡くなったのは夏、 その頃よく歩いた浅野川の岸辺に、 やがてコスモスが咲き乱れ、どれだけ癒されたことでしょう。コスモス通り、郁代に会える道。「みんな元気にしてる?」あっ、郁ちゃんだ! ここはどこ?二年前に見つけた時、 う…

美しい今

美しい今 星野富弘 暗く長い 土の中の時代があった 命がけで芽生えた時もあった しかし 草はそういった昔を ひとことも語らず もっとも美しい今だけを 見せている 昨日は チューリップの名前を見ながら歩くのが、楽しかったです。 昨年命名されました。 春万…

悲しみの意味

「せんせい、晴れの日とくもりの日って、いい日ねんよ」子どもの“つぶやき” に触れて、星野さんの詩が浮かんできました。 悲しみの意味 星野富弘 冬があり夏があり 昼と夜があり 晴れた日と 雨の日があって ひとつの花が 咲くように 悲しみも 苦しみもあって…

けがをしたおかげで

最近読みました。 「いのちより大切なもの」 「いのちより大切なものとは?」と聞かれて 一生探し続けて、死を迎える前日に、 ようやく自分なりの答えが見つかるかもしれない。 肝心なのは自分でみつけるということです。 本の中から ・・・・・ 津波にさら…

なぜきれいに咲けるのだろう

卯辰山花菖蒲園で郁代が撮った最後の写真、 あまりに美しくて、 この時の郁代の心情を思うと涙があふれてきます。 旅立つ二ヶ月前 昨年この写真を見られた、まりんかさんの感想。 「郁ちゃんの撮られた花しょうぶの写真をパソコンの画面横から見てください。…

仏さまのお心

星野富弘さんの「もっと許そう」 私だって 数え切れないほど たくさん 許されているんだもの のところで、 「歎異抄・第一章」 が自然に浮かんできて、なんだかうれしくなりました。 以前、歎異抄のお話しをお聞きする機会がありました。 ほとんど忘れるよう…

もっと許そう

もっと許そう(メランポジューム) 星野富弘 許すということを知ったら 重かった悲しみが 少し軽くなった もっともっと許そう 私だって 数え切れないほど たくさん 許されているんだもの 星野富弘著『いのちより大切なもの』(2012年12月発行)より 田口ラン…

ドクダミ

まりんかさんの十字の飛行機雲をみて思い出しました。 ドクダミ おまえを大切に 摘んでゆく人がいた 臭いといわれ きらわれ者のおまえだったけど 道の隅で 歩く人の足許を見上げ ひっそりと生きていた いつかおまえを必要とする人が 現れるのを待っていたか…

今日が一生

星野富弘美術館へ行ってこられたお友達が、絵葉書をくださいました。 「昼顔」 詩画集『あなたの手のひら』より 手をぬいているところがあるか 淋しそうなところがあるか 今日が一生 昼顔の花 ドキッとしました。 手をぬいてばかりのわたしだから・・・。 ヒ…

沈丁花

街を歩いていると、花の香りが漂ってきました。 ふと見ると沈丁花が咲いていました。 星野冨弘さんの詩を思い出しました。 誰にでも やさしい言葉が かけられそうな気がする 沈丁花の香り ただよってくる朝 (星野富弘「鈴の鳴る道」より)

冬の枝

『冬の枝(びわ)』 星野富弘 絵葉書から撮りました 雨を信じ 風を信じ 暑さを信じ 寒さを信じ 楽しみを信じ 苦しみを信じ 明日を信じる 信じれば 雨は恵み 風は歌 信じれば 冬の枝にも 花開く 星野富弘さんの詩画を眺めていたら、 『むらさきつゆくさ』 二…

あけび

身を投げ出して あけび仏さま “畑のかえるさん”の、宝石のようなあけびをみましたら あけびの詩を思い出しました。 あけび あけびを見ろよ 木の枝にぶら下がり 体を二つに割って 鳥がつつきにくるのを 動きもしないで待っている 誰におしえられたのか あんな…

コスモス通り

夕陽に照らされて 郁代が亡くなったのは夏、 その頃よく歩いた浅野川の岸辺に、 やがてコスモスが咲き乱れ、どれだけ癒されたことでしょう。 コスモス通り、郁代に会える道。 「みんな元気にしてる?」 あっ、郁ちゃんだ! 最近みつけました。 うれしくて、…

視座をずらす

雑草 星野富弘 も と も と こ こ は 草 は ら で し た そ こ に 人 間 が 家 を 建 て て 「 雑 草 が 生 え て 困 る 」 な ん て い っ ち ゃ っ て お か し い ね え (詩画集「花よりも小さく」より) ブログ「美研の晴耕」で、絵手紙「草にすわる」…

むらさきつゆくさ

つゆくさがきれいです。 以前にも書いたことがある、忘れられない詩です。 むらさきつゆくさ 星野 富弘 二番目に言いたいことしか 人には言えない 一番言いたいことが 言えないもどかしさに耐えられないから 絵を書くのかも知れない うたをうたうのかも知れ…

どくだみ

野原にも、道端にも、家々の軒先にも、 どくだみが白い花を咲かせています。 どくだみの詩を知ってから、どくだみが好きになりました。 私の友達のように思えてきます。 どくだみ 星野富弘 おまえを大切に 摘んでいくひとがいた 臭いといわれ きらわれ者のお…

はなしょうぶ

卯辰山の花菖蒲園で 郁代撮影 旅立つ二ヶ月前 家族との最後の外出 ほとんど歩けなくなっていたので、この頃、子犬のビッキーを飼い始めました。 子犬を散歩させて、郁代は楽しそうでした。 花があまりにきれいなので、涙が出てなりません。 「はなしょうぶ」…

いのちより大切なもの

きのう頂いたコメントです。 「‥ダウン症が治るという奇跡はおきなかった、 だけどそのために至福の人生を知った‥。 この母子お二人の心境って、人生の究極の目的ですよね、すごいです。 さて、郁代さんもガンが治癒することはありませんでした。 でも生まれ…

コスモス

買い物車を押して歩いてきたおばあちゃん、 前には椅子がついていて、疲れたら座れます。 コスモスや菊の花が咲いているご近所の庭先へくると、 椅子に腰かけ、しゃがんで花とお話ししてました。 いつまでも、いつまでも・・・。 とっても暖かな午後でしたか…

二番目に言いたいことしか

二番目に言いたいことしか 人には言えない 一番言いたいことが 言えないもどかしさに 耐えられないから 絵を書くのかもしれない うたをうたうのかもしれない それが言えるような気がして 人が恋しいのかもしれない 「むらさきつゆくさ」 星野富弘 郁代の病状…

花菖蒲園

卯辰山花菖蒲園では例年より遅れて、 花菖蒲やアジサイがきれいに咲き揃っています。 この季節になると、 家族みんなで郁代と見に行った、 最後の花菖蒲園が思い出されてなりません。 ] 卯辰山花菖蒲園 で郁代撮影 旅立つ二ヶ月前 飼い始めたばかりのビッキ…

ドクダミ

道を歩くと、あっちにもこっちにもドクダミが咲いています。 星野富弘さんの詩にであってから、 ドクダミが美しくみえるようになりました。 ドクダミが好きになりました。今なら一輪差し、やさしい気持ちになります。 陰干ししたドクダミを、これからの季節…

悲しみが集った方が

郁代が病んでいるとき、旅立った時、 星野富弘さんの詩が、いつも温かく包んでくれました。 よろこびが集ったよりも 悲しみが集った方が しあわせに近いような気がする 強いものが集ったよりも 弱いものが集ったほうが 真実に近いような気がする しあわせが…

かりん

近所の庭にかりんの木。 かりんを見ると、やさしい気持ちになるよ。 かりん 星野冨弘 毎日見ていた 空が変わった 涙を流し 友が祈ってくれた あの頃 恐る恐る開いた マタイの福音書 あの時から 空が変わった 空が私を 見つめるようになった