けがをしたおかげで

最近読みました。
「いのちより大切なもの」


「いのちより大切なものとは?」と聞かれて
   一生探し続けて、死を迎える前日に、
   ようやく自分なりの答えが見つかるかもしれない。
   肝心なのは自分でみつけるということです。


本の中から
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津波にさらわれて家の土台しか残っていない、どこかの街の跡がテレビに映っていた。
続いて瓦礫の間に、枝が折れて倒れそうになって曲がっている一本の木が現われた。
しかしその木の折れ曲がった枝先には、なんと花が咲いているではないか。
木の周りには、津波で肉親や家を失くしたであろう人たちが、
まるで希望の光を見つけたように佇んでいた。


思えば、枝が折れてボロボロになってしまった木は、
二十四歳の時、大けがをして病院のベッドの上で虚ろに天井板を見つめていた、     かつての私自身の姿だった。
津波の後に、幹は曲がり枝が折れて残っていた木。
弱そうな木だったけれど、弱いから折れないで生き残ったのかもしれない。
この本の第三章に、入院中に口に筆をくわえて描いた最初のころの絵が載せてある。                          
                          (巻頭エッセイから)
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9年という長い入院期間、
「あれがなかったら俺の人生はちがっていた」
と何度も思いました。
あの日、生徒たちの前で宙返りをしなければよかった、
いや器械体操などしなければよかったのだ、
むしろ病弱であればよかった・・・。
限りなく過去を遡っては後悔をくり返していました。
いっそのこと生まれなければよかった・・・。        (第2章から)
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満たされた日々の中で、人はなかなか神を感じることはできません。
神様が私たちに送ってくださる幸せのほとんどは、
最初からいい顔をしては近づいてはこない。
むしろ私たちにとって、拒みたくなるような姿でやってくるのだと。
私はたまたまこんな大けがをしましたが、
だからといって私だけが特に大変というわけではなく、
人は皆それぞれ他人にはわからない苦しみや悲しみを抱えています。


大切なのは、それをどう受け止めていくかということではないでしょうか。
死の淵をさまよい、障害ゆえにできなくなったこともたくさんあります。
でも、いのちより大切なものに気づくことができた。
けがをしたおかげで、この人生ほんの少し得をしたかな・・・・・。
そう思っています。                    (第2章から)
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