仏さまのお心


星野富弘さんの「もっと許そう」
     私だって
     数え切れないほど
     たくさん
     許されているんだもの
のところで、

                
歎異抄・第一章」
が自然に浮かんできて、なんだかうれしくなりました。
以前、歎異抄のお話しをお聞きする機会がありました。
ほとんど忘れるような私ですが、
第一章だけは、いつでも心に留まってくださっているのです。


     弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、
     往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、
     すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。
 

◆全休さんの歎異抄現代語訳・第一章をお借りしました。

      
親鸞聖人からこのようにお聞きしました。


 あるとき、「仏さまを見た」と思える瞬間が訪れました。
生涯に一度といわれる廻心体験でしたが、この体験を得ると、わたしを憶ってくださる仏さまのお心がわたしに伝わって、不思議なことに、
それ以後、仏さまのお心がわたしを離れなくなってしまいました。


 仏さまが、わたしの心に現れてくださったのは、
わたしがなにかをしたからというわけではありません。
ただ、ひたすら、わたしを救いたいという仏さまのお心が、
たまたま、わたしに伝わったということでしかありません。

 
 わたしを、そのままに救うというのが仏さまのお心なのですから、
わたしの努力など、仏さまはまったく期待されていなかったのです。
しかし、損得勘定でしか生きていないわたしには、努力しないでなにかを得られるなどということがとうてい信じられませんでした。


 わたしは心の底から仏さまを疑っていたものですから、
仏さまは、わたしが自助努力の限りを尽くして、
自らを救う器量など持ち合わせていないのだと身に沁みてわかるまで、
ずっと、わたしを待っていてくださったのでした。
ありがたいことです。