もっと許そう

     


     もっと許そう(メランポジューム)   
                      星野富弘


     許すということを知ったら
     重かった悲しみが
     少し軽くなった
     

     もっともっと許そう
     私だって
     数え切れないほど
     たくさん
     許されているんだもの
                

        星野富弘著『いのちより大切なもの』(2012年12月発行)より


田口ランディさんの講演会で偶然友人と会い、
帰りは久しぶりにお店に入りました。
「あの時あなたから、『許せない自分そのままを頂いていこうね。私も同じなのよ』と言われて、とても気持ちが楽になったの」
と友人は話されました。
少し離れた町に住んでいるのですが、最近は東別院の法話会によく通っているとのことでした。
それまでは全くお寺にご縁がなかったけれど、と。


昨年息子さんを病気で亡くされ、「あなたにあえてよかった」を読んでいたことから、以前私に会いに来られました。


病状が進む息子をめぐり家族、親族間で信じられないことが次々に起きて、
そのことがどうしても自分は許せないのだ、と言われました。
「許せない自分が苦しくてたまらない」とも。


私も身に覚えがあります。
家族・親族の間で、末期の医療現場で、
「許せない!」と思ったことが。


そんな時、
「郁代はどうして許せたのだろう」
といつも思うのでした。


人生の希望を奪った“病気”を恨んだでしょう。
「もっと元気な身体に産んでほしかった」と親を恨んだかもしれません。
胃カメラで細胞検査をした最初の病院が「胃潰瘍」と誤診、
飲み薬を処方し続けたことも許せなかったでしょう。


「親孝行できなくてごめんね」
「生んでくれてありがとう」
「これまで(の人生)完璧だった」
と、どうして言えたのでしょう。


     私だって
     数え切れないほど
     たくさん
     許されているんだもの


郁代はそう思ったに違いありません。


私は「許せない」前に、
数え切れないほどたくさん
許されていたのでした。