田口ランディさん


田口ランディさん
兄はアパートに引きこもったまま自殺のように餓死し、
その翌年に母の死、
父はアルコール依存症に苦しんだ末に肝臓がんで亡くなった。
壮絶な家族の死を目の当たりにしたことが、
ランディさんの宗教に対する強い関心につながっているようです。
小説も何冊か読んでいて、ランディさんはお会いしたい方でした。


一昨日『真宗会館』で田口ランディさんの講演がありました。
お聞きするのは2度目です。
     〜心のしずけさを求めて〜
      「無常ということ」


・・・・・
兄は両親から「これが最後だ、働く」とお金を無心して部屋を借り、
一人暮らしをして生活していた。
生活に困窮していたわけでもない、
それなのに自ら食べることを止め、餓死して亡くなった。
兄は一切の労働を拒否し、ただ横になったまま餓死した。


兄が生きていたころ、私や両親が兄に言い続けた言葉。
それは「働きなさい」だった。
特に父と母は口を開けば「働け、働け、働け」と兄に言い続けた。


うちの兄は父にはもう男であることを否定されてましたから。
お前みたいな働かない奴は男じゃないとか、人間じゃないとか、そういうことを、自分はすごい飲んでるくせに。
でもね、うちの父ね、物凄く飲むんだけど、物凄く働くんですよ。
たちが悪くて、偉そうに飲むんですよ。俺の金だとかなんとか言って。
それでうちの兄のことは結構ボコボコにね、子どものころからしてたので。
兄はもう自殺ですよね。


兄の死は、私にいくつもの問題を提起した。
『まず、働かず、お金もない者は死ぬのか……ということ。
がんに罹ったとしたらもっとお金も援助するし、働けとは言わない。
兄は働きたくても働くエネルギーが湧いてこなかったんじゃないか?』


で、兄が死んじゃってその翌年にお母さんが死んじゃって。
やっぱ一番ショック受けたのは年取った母親なのに、
父は「お前の育て方が悪かった」とか言って責めたんですよ。


アルコール依存症という病気は、
自分が『このまま酒を飲み続けたら死ぬ』と思わない限り、
いわゆる『底つき』を体験しないと、解決できないんですよ」。
全治6カ月の大けがして入院した父がようやく「底つき」したとき、
末期がんであることが分かった。余命半年だった。
虐待しあれほど無視し続けたのに、
死んだ兄の写真を見せたら、父が号泣した。
父の長い間の固い固い“心のふた”がはずされたのだった。
・・・・・


その場面を話すとき、
ランディさんも泣いておられた・・・。
死を前にした父とランディさんは和解しました。
3人の家族の死、その後高齢の義父母を看取ったが延命治療はしなかった、
自分もしたくないと語られました。


郁代が最期の時に、「無駄な延命処置はしないでください」
と医師に告げた時のことが思い出されました。


いくつかの仏教を学び、浄土真宗の勉強会にも参加したランディさんが、
別のところで書かれていた文章が心に残っています。


「人間はどん底に落ちない限り、なんとか自分でやろうとする存在。
でも自分でやろうとする人には、真宗セーフティーネットにならない。
それゆえ真宗は難しい」


浄土真宗は、自分の力では救われないと実感した、
万策尽きた状態にある人のための最終のセーフティーネットだと考えている」


南無阿弥陀仏という状態、南無阿弥陀仏化した『私』という存在があるんだと思う。
信心深いお年寄りは真宗を頼っているのではなく、真宗を生きている。
南無阿弥陀仏的な存在とはそういうことじゃないかな。
信心の深い門徒さんを妙好人みょうこうにん)と呼ぶが、
妙好人の生き様が浄土真宗の教えと一致している気がしている」