悲しみが集った方が

郁代が病んでいるとき、旅立った時、
星野富弘さんの詩が、いつも温かく包んでくれました。



よろこびが集ったよりも
悲しみが集った方が
しあわせに近いような気がする
    強いものが集ったよりも
    弱いものが集ったほうが
    真実に近いような気がする
しあわせが集ったよりも
ふしあわせが集ったほうが
愛に近いような気がする                                              
                            星野富弘
                          
 小菊



                <震災 心に残るつぶやき>
★ 今回の震災取材で感じたことのひとつは都市と村の差だ。
都市、たとえば気仙沼(人口7万人)では、すでに被災者の間でピリピリした空気が漂っている。
食料や水の確保などで、競争が起きる可能性もあり、それが即、生命に繋がる可能性があるからだ。
すでにわずかだが殺気立っているのである。
しかし、同じ被災地でも、人口数百人〜数千人の海岸線の村に行くと、
みな、表情に精気がある。
これは言葉にするのは難しいのだが、最低でも、
通りを歩いている人の多くに、これまでの日本では出会ったことがない程の、力がみなぎっているのだ。
小さな村では、すべての人が顔見知り。
そして助け合いが、絆がある。
もちろん何人も歩くのがやっとというほど憔悴し、
疲れ果てている人々を目にした。
だが、都市と村との格差は確実にある。
たとえば、食料が少なくなっても、村では、
誰かに助けて貰えるという安心感が、都市部より大きいのだ。
それが究極の困難の中でも安心感を生む。

     

★ なるほど〜…
「大丈夫」の漢字には人が3人集まってるから安心を感じる言葉なんだって