渡辺のおっちゃん


宛名は
〇〇の〇〇市〇〇公園、そして公園の絵地図、
テントの絵とおっちゃんの似顔絵を描き、
“渡辺のおっちゃん”と書いて手紙を出したかっこちゃん。
このお話しが大好きです。
なんと、おっちゃんに手紙が届いていたのです。

渡辺のおっちゃんの話
                   山元加津子

このごろはお手紙を書くことも少なくなってしまったけれど、
昔、すごく心に残るお手紙をいただいたことがあるのです。

最初は、郵便受けの中の手紙の差出人のお名前を見ても、
なんのことかわかりませんでした。

いったいどなただったろう、それにしても不思議な肩書き・・
そう思って文字をしばらく眺めていて思い出したのです。
その方の肩書きは「公園のおっちゃん」というのでした。

その方とお会いしたのは、関西へ出かけたときでした。

その日は雪の降る日でした。
講演会場は駅から歩いて5分と聞いていたのに、
歩いても歩いてもそこにはつきませんでした。

道はあってるようなのに、地図だって見てるのに、
もう40分も歩いたのに・・
と不安になっていながらも、まだ2時間もあるからと
それほどあわててはいませんでした。
けれど・・・

(5分のところをタクシーに連れていっていただくのは申し訳ないって思ったのは 間違いだったかもしれない・・
タクシーの運転手さんだったら、きっとすぐにわかったのに)
とため息まじりに考えだしていたところでした。

関西って雪の少ないところだと思っていて、
おまけに小松では晴れていたのです。
だからコートもなしで傘ももっていませんでした。

主催者の方に書いていただいた地図に載っている公園をみつけました。
うれしくて、その中を走るようにいそいでいたら、
途中ですべってころんでしまいました。

ころぶのは慣れているけれど、たった一人、見知らぬ土地に来て、
講演会場になかなかつかないし、
お洋服もどろどろだし、髪もぬれちゃったし、
こんな格好でたくさんの方の前に出なくちゃいけないんだと思ったら、
自分でもびっくりするくらい急にわきあがるように悲しくなって、
近くのベンチに座って、ちょっと泣きました。

その方にお会いしたのはそのベンチででした。

「痛かったんか?」

さっきまで確かに私の横には誰も座っておられなかったはずなのに・・
その方はいつのまにかそこに座っておられました。
その方はきっと公園の中のテントに暮らしておられる方なのだと、
そのとき私はなぜだか思いました。

「痛かったんか」の問いにうんと小さくうなずくと、
何か口の中でおっしゃたのだけど、私には聞き取れませんでした。
その方はじっと下を向いておられて、私はなにを話そうかと思いました。
そして道を聞きました。

「〇〇ホールというのはどこにあるのでしょう?」

その方は首を傾げて
「おっちゃんはわからんわ」っておっしゃいました。

わからんわとおっしゃったけれど、とても温かく、
わからないことがとても残念そうに言ってくださったので、
さっきまでちょっとだけ泣いていたことがうそのように
うれしくなりました。

「駅から5分って書いてあるのだけど、もうすごくたくさん歩いたの・・」
「そうか・そうか・・・」
“おっちゃん”はやっぱりとてもやさしかったです。

どうしてポケットを探しておられるのかなと思ったら、
ポケットから飴を出してくださいました。
きっと大事にずっと持っておられた飴なのだと思います。
飴の包み紙が飴にくっついていて、
食べたとき、「あれ?」って思いました。

「ナイロンくっついとったか?なめとればとれるよ」と
“おっちゃん”は教えてくれました。

「ほんとう・・」
とてもきれいにナイロンはおもしろいようにはがれました。

大きな甘露飴みたいな飴はとても甘くて、ほっとしました。
その方のことをどう呼んでいいかわからなくて、
「なんてお呼びしたらいいですか?」とお聞きしたら、
「おっちゃんでいいよ」とおっしゃいました。

でも“おっちゃん”っていう呼び名に
こちらにいてなれていなくてためらっていたら、
「渡辺っていう名前やった・・しばらく使ったことがなかったな」
と言われました。

「私、6時までにどうしてもそこへ行かなくちゃいけないんです。
渡辺さんありがとうございました」
立ち上がろうとしたら、
「ちょっと待って・・」と“おっちゃん”は傘を貸してくださいました。
「でも私、ここにすんでいないから返せないかもしれないんです」

“おっちゃん”は、
「たくさんあるからいいよ。それとも骨が曲がっていて恥ずかしいか?」
と言ってくださいました。確かに骨は曲がっていたけど、
その傘は雪をよけるには十分すぎるほどでした。

「じゃあ返しにきます」と言ったのに、
「いいよ、あげるよ」と言ってくださったので、
私はそれをいただくことにしたのです。

公園を出て、地図を頼りに歩いたらそれからしばらくして、
そのホールはありました。
まだたったばかりの真新しいホールでした。

主催者の方が私のぬれていたり、
泥だらけだったりするかっこうを見てびっくりされたようでした。
それから
「ちょっと遠かったでしょう?ここ、できたばかりなので、
私たちも初めてきたので、遠くてびっくりしてたんです」
と言われました。


家に帰ってから、でも“おっちゃん”のことは何度も思い出しました。
それでお礼のお手紙を書きたいと思いました。

前にも大阪駅で、お世話になった方で、
やっぱり住所をもっておられない
段ボールのおうちにすんでおられた方にお手紙を出したとき、
手紙は「宛先不明」で戻ってきてしまいました。

でも今度は名字も知っているので、
郵便局の方に申し訳ないなあと思いながら、
またお手紙を書きました。

宛名のところには、〇〇の〇〇市〇〇公園と書いて、
それから公園の絵地図を書いて、
テントの絵もかいて、おっちゃんの似顔絵も描いて、
“渡辺のおっちゃん”と書きました。

その手紙は何日たってももどってきませんでした。
最初は私の手紙どうなったかな?って
何かの折りに思い出したりしていたけど、
でもきっとついてはないだろうなって昨日まで思っていました。
その手紙を出して、もう2年以上たっていました。
私はその手紙を出したことさえすっかり忘れていたのでした。

ところが昨日いただいた手紙は
“渡辺のおっちゃん”からのものだったのです。
手紙は届いていたのです。
郵便やさんが、私が書いた、宛名と地図で、
“おっちゃん”を探してくださったのです。

こんな手紙を出したと書くと郵便局の方や、
それからどなたかに叱られてしまいそうです。
だって、とても迷惑をおかけしますもの。
でもお手紙、出したかったのです。

親切な郵便やさんに今日はお礼を言いたいです。
本当にありがとうございました。

“おっちゃん”は

「げんきですか?てがみをくれておどろきました。
 しんせつなゆうびんやさんが、
 渡辺さんというひとはいませんかとたずねてもってきてくれました。
 さいしょはおっちゃんのことかどうかわからなかったけれど、
 えでかいたちずで、
 おっちゃんのことだとわかりました。
 うれしくてなかまにもみせました。
 へんじがかけるとはおもいませんでした。
 けれど、かくことができました。
 げんきでいてください。こうえんのおっちゃんより」

これは原文のままです。
宝物のようなお手紙がこうしてお返事で帰ってくるなんて、
私、うれしくて、うれしくて、
信じられないくらいうれしくてたまりません。

思い出したくないと思っていたことも、
本当は“おっちゃん”に会うことができるために、
それから住所を見て、
届くはずがないだろうなんて思わずに探してくださった
郵便やさんのことを知ることができるために、
みんなあったのかなと、
あんなふうに考えてしまったことをやっぱり恥ずかしく思います。

そして、考えたら、毎日届けていただいているお手紙も、
郵便やさんが心をこめて届けてくださってるのだと改めてありがたく思いました。

それから2年間も私のことを覚えていてくださった渡辺のおっちゃん、
本当にうれしかったです。

私はそれからもよく
「渡辺のおっちゃん」どうしておられるかなあってよく考えます。
そして考えるたびに、
うれしかったことを思い出して元気が出るのです。

この空の下で、時間を越えて場所を越えて、
たまたま出会うことができるということは、
本当に大きな贈り物ですね。

私たちはバラバラに生きているけれど、
糸がどこかで二本結び目ができたみたいにして、
出会って、またバラバラに生きていく。
でも、その結び目はどんな出会いであっても
きっと大切な宝物に違いないと思うのです。