「言葉 心で磨いた」 つたえたい〈下〉

かっこちゃんのメルマガ第1298号
「宮ぷー心の架橋プロジェクト」(2013年2月24日)から。


2月21日の東京新聞です。
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「言葉 心で磨いた」今、語り合う仲間がいる 
             つたえたい−言葉を得た重度障害者たち−〈下〉 


重い障害がある子どもたちの言葉を引き出す取り組みをしている柴田保之(54)=國學院大教授=は先月下旬、
東京女子大で、本年度最後の授業に臨んでいた。
手には詩集「きじの奏で」。
傍らに、横たわるように車いすに体を預けた著者の大野剛資(31)=中野区=がいた。
柴田は
「彼と十数年の付き合いですが、皆さんにこの本の著者です、と紹介できてうれしい」
と学生たちに語りかけた。


妊娠27週での早産だった大野には、生まれつき運動障害があった。
2歳近くになって下された診断は、脳性まひと未熟児網膜症。
母禧美子(66)は「知的な障害があり、ほとんどのことは分からないんだろうと思っていました」と打ち明けた。


     きちんと姿勢を保てぬまま知識だけを吸収していった。
     姿勢は保てぬまま静かに静かに進み、
     季節とともに聞き耳をたてていった。
     つまり朽ち果てぬためには知識をためていくしかないと知ったのだ。
                              (詩集より)


「地域の中で剛資のことを知ってもらい、大勢の子の中で育ってほしい」。
両親の考えで、大野は地元の小、中学校で学んだ。
動けない自分の周りをみんなが駆け回る。
うらやましいけれど、うれしくもあった。


壁にぶつかったのは養護学校高等部に進んだ時だ。
「なにも分からないと思われ、 勉強らしいことは教えてもらえなかったのでがっかりした」。
未来への希望を持てず にいた卒業間近の2000年春、
柴田とパソコンで言葉を書く練習を始める。
「ありがとう ぱそこん」
短い文章を初めてつづることができたのは4年後だった。


大野は自身の人生を「二層の経験」と表現する。
体はほとんど動かせず、簡単な単語しか発せられない表面上の姿。
心の中で言葉を反すうし磨き上げていく自分。
「ぼくたちはいつも頭のなかで詩を書いています。
つらい時や苦しい時、詩を書いて紛らわせてきましたから」


     人間として生きていきたい
     人間としてのいい生き方
     いつか辿り着きたい 
     いい地に
     素晴らしい地に
     季節に満ちた地に
     季節を満ちた地に
     すべてをくるんで生きていきたい
     すべてを守って生きていきたい


大野は今、同じように言葉を得た仲間たちと語り合う時間を何より楽しみにしている。
同年代が中心になってつくった「きんこんの会」では、
日々の生活や時事問題まで活発に議論する。
先月の会で仲間の一人が言った。
「この場所は世界の片隅みたいなものだけど、
いつか自分たちの言葉を世の中に伝えたい」
              (敬称略、この企画は小林由比が担当しました)

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新聞にこうして大きく報道されたことを私はもう、何度も
「ああうれしい、うれし い」
とくり返し思います。
今、このときに、柴田先生がされてこられたことが、
「僕のうしろに道はできる」の映画にもなって、上映されることも、
何か天のはからいの ような気持ちがしています。
                             かつこ


 「僕のうしろに道はできる」



柴田保之先生が出ていられます。



「言葉を得た重度障害者たち」 つたえたい〈上〉

「言葉を得た重度障害者たち」 つたえたい〈中〉