ありがたい

あの辛さの中で、
郁代は「ありがたい」のメッセージを遺そうとしました。



「家族のやさしさに気づいたことが、
病気の辛さ以上に有り難いことやわ」
うれしそうに言った郁代を思い出した。
明るい顔だった。


あの辛さの中で、
「有り難い」と言えることが不思議だった。
私は、同じような言葉を、どこかで聞いたような気がした。


郁代のおじいちゃんが、自宅で寝たきりになっていたある日、
介護していたわたしを呼んで言った。
「ありがた〜いことが、わかったがや!
自分が、だちか〜ん(無力な)者やとわかったことが有り難いがや…」
そう言ったおじいちゃんの顔が、
満ち足りて輝いていたことを忘れない。
「自分で生きてきたのではなかった。
大いなるはたらきによって生かされている身であった。
そのことがわかってうれしい」
 

おじいちゃんが、そう言っていたのだといま教えられる。

若くして病を得た郁代は、〝生まれた理由〟を問い続けたにちがいない。五木寛之氏は本の中で次のように言っている。


   むしろ絶望のどん底、真っ暗闇のどん底まで落ちてしまって、
   そこからドーンと足を突いて飛び上がらないことには
   光のほうに行けない。
   温室栽培の、二十四時間人口の光線に照らされているところにいて、      そこに一条の光が雲間から射してきたとしても、
   それを光明と感じて感激することはありません。
   真っ暗闇のなかで、
   爪から血が滲むようにして希望を探している。
   そこへ窓から一筋の光が射してくるから、
   それを光明と感じて、人は感動するのです。
         
五木寛之稲盛和夫著『何のために生きるのか』致知出版社


身体の衰弱が限りなく進みはじめた、
亡くなる一ヶ月ほど前から、
郁代の心が次第に澄んでいくのがわかった。
このころ、郁代に、
真っ暗闇の中から一筋の光が射してきたのだろう。
それは、
おじいちゃんに射した光と同じだったのではないかと私には思われた。


あなたにあえてよかったより