救われた命 

家のすぐそばを流れている浅野川に沿って、四季折々よく散歩します。
川辺で幼児だけで遊んでいるのを見かけると、
溺れないかと気になり注意しながら歩くのが常でした。
保育園に勤務していた関係で、
知らぬ間にパトロールしている自分に気がつき笑えるのですが。

六年前の今日、七月とはいえまだ肌寒い日のこと、
雨上がりの川は濁流、増水していました。
いつものように河川敷の道を歩いていましたら、
「たすけて〜」
の声が上流から聞こえてきます。

声のする方を見ると、
川の中央あたりで赤い服の子供がなにやら杭につかまって、
声を限りに叫んでいるのです。
私は躊躇することなく、
胸までつかりながら衣類のまま歩いて川へ入っていきました。
「冷静に考えた」一瞬の判断では、
スイミングに親しんでいる私には安全に助けられる状況…
とわかったからです。

「助けてあげるからね〜」といいながら、
ぬるぬるとすべる石に足を取られないよう、
流れの中を慎重に進みました。
冷たい水は私の胸まであり、
子供の手がいつ杭を離すかわかりません。
でも「三年生くらいなら、まだ大丈夫だろう」とあわてませんでした。

胸に抱きかかえて岸に戻ったら、
間もなく救急車や消防車がサイレンを鳴らして何台も集まってきました。
誰かが通報したのでしょう。
心配して駆けつけた人達でいっぱいです。
もう命はないだろうと思って駆けつけたら、
助かっていてびっくりしたようでした。

川に落ちて流された時、腕にひっかかるものがあり、
子供が偶然つかんだのは、
友禅流し (加賀友禅の糊を流す作業) に使う杭だったのです。
後でわかったのですが、
3年生ほどと思っていたその子は5歳の男の子でしたから、
時間との戦いだったわけです。

「そんな時は通報が鉄則、助けに入るとは無謀!
自分の方が溺れるにきまっている!」
と息子にはこっぴどく叱られました。(笑) 

人命救助の表彰をするというので、
「杭が助けてくれたのです。私は道で転んだ子を起こしただけです」
と言いましたら、
「火事で燃えさかる家の中から人を救い出したのと同じことですよ」
とのことでしたが、ピンときませんでした。
子供にとっては、確かに一大事だったでしょう。

あの時、あの場所を通ったのが、どうして泳げる私だったのでしょう。
いつもはいるのに、散歩している人は他には誰もいませんでした。
通ったのが5分前でも、5分後でも助からなかったかもしれません。
どうしてあの時だったのでしょう。
いくら考えても不思議でなりませんでした。


 いつもは穏やかな浅野川の現場

数え切れない、たくさんのご縁の積み重ねがあって、
たまたまそこを私が通ったのでした。

郁代が身体の異常を訴えたのは、その年の暮れに帰国した時でした。