死者の視点で

田口ランディさんのブログを、いつも読ませていただいています。
昨年は、月刊誌「同朋」でも連載されていました。
書籍もたくさん出されています。


金沢東別院の夏季公開講座で、
昨日、ランディさんのお話をお聞きしました。


「兄の自殺」、「アルコール中毒の父親のガン」を中心にお話されました。


兄の死体に這っていた蛆が光って見えたことが、
強烈な体験として残っていられるようです。


余命いくばくもない頃、
兄の写真を見て号泣した、父の話が心に残りました。

わがまま放題に甘えていた母の写真ではなく、
兄の写真を見た時でした。
あれほど兄を虐待し、死に至らしめた父が、
生涯で初めて見せた涙は、
ランディさんにとっては思ってもみなかったことでした。



ランディさん、最後、

あんなに家族の人生を翻弄した父親でしたが、
「でも、大好きなんです!」
といわれ、嗚咽し、
あとは言葉になりませんでした。


ランディさんの最近のブログから、抜粋です。



わからないということと死者の視点    2009-07-19  


ええと、つまりこうだよ。
わからないことがあまりに多いから、時々いやになっちゃうんだけど、
それは自分にも嫌になるし、他人にも嫌になるってことなんだけど、
そもそも何に嫌になってるかっていうと、
自分の意識の傲慢さで、
つまりそれを恥ずかしいと思うようになったってことなんだ。


なんで、恥ずかしいと思うのかっていうと、
意識を見つめるもう一つの視点ができたからだと思うのだけど、
じゃあその視点は誰かってことだな。


それはね、たぶん、死者の視点だ。


年とったら生者であると同時に見てるんだ。
彼岸と此岸と両方から見てる。
そうすると生者の意識の視点は、すごく傲慢で偏屈に感じるんだ。
うーん。今日はここまでかな。