ハロウィーン・パーティ

ハロウィーンの季節になると、京子さんからのお
便りを思い出すのです。


ハロウィーン・パーティ       
                   京子

いくちゃんと 初めてお会いしたのは、
シドニーで何かの日本の催し物を見に行った時で 友人に紹介されました。
ツヤツヤとよく磨いてある(?)みたいな、きれいなピカピカの目だなあ〜というのが第一印象です。
 その後、よく私の夫のスコットと共に何人かと一緒に食事にも出かけたり、お互いの家で集まったり、
ブッシュウォーキング、大晦日シドニーハーバーの花火などのイベント、と楽しい思い出ばかりです。
 

いつもにこにこ。
全くひけらかしたり、前に出て来たりしない控えめな人でしたが、
会社での仕事はできそう〜と。
まじめでよくふざけ、冗談にすぐ乗ってくれて、
いっしょにいて楽しかったです。
本当に人を傷つけたり、
きつい事をいったりという事はまったくなかった気持ちのいい人。
 

 いくちゃん宅で、
彼女のシェアメイト達と開いたハロウィーン・パーティーに呼んで頂いた時、変装パーテーというものに飢えていた私とスコットは、
3週間前からわくわくと準備して待ち望んでいました。
スコットの「オオカミ男」はうけました。
 上手に場をまとめて司会をやっていたいくちゃんは賞を発表。
パーティーがこれでひとつにまとまり、さらに楽しいものとなりました。


おかげで オオカミ男が賞のひとつをもらい、三週間の努力が実りました。
スコットはいくちゃんとお酒を飲むのが楽しくて、
よく飲んでは冗談をいい、からかってました。
いくちゃんはそんなジョークをすぐわかってくれて、
漫才のように上手にかわしてくれてました。
 

 子供の頃、ピアノを習うのが大嫌いだった私ですが、
今頃になって弾きたくなりついに購入。
そこへいくちゃん達が遊びに来てくれたのですが、
連弾でいつまでもずっと楽しそうに弾いていました。
ああよかった、楽しんでくれて、と思ったのですが、
それからすぐ「ピアノ買ったよ」といくちゃんからの電話。
眠っていたピアノへの情熱が目覚めたそうです。
しばらくたって「何弾いてるの〜?」とお互い探り合い。
なんと二人とも全く同じ曲だったのには驚きました。
ショパンの「ノクターン」。
私にはかなり難しい曲で無理して弾いてるのですが、
いくちゃんは「あのねえ、ゆっくりなら全部弾けるようになったよ」とうれしそう。
これで私も刺激されて、ゆっくり 弾いています。
ほんとにゆっくり。
二年たってもゆっくりのまま上達なしですが。
 

その頃、いくちゃんは毎朝プールで泳いでいたし、
資格を取るため勉強も続けていたという頑張り屋さん。
 いくちゃんが病気の為日本にしばらく帰っていた、というのを少したってから聞きました。
「うん、大丈夫だよ」と言うので安心していました。


 それからしばらくたって、日本に完全帰国すると急に聞いた時も深刻さを見せず、
いつものおだやかで落ち着いた雰囲気だったので、
私は病気の大きさに気づかなかったのです。
その時いくちゃんから頂いた小花のかわいい和食器が今大切な宝です。
宝だけど毎日使わせてもらっています。
使う時、いつもいつもいくちゃんのことを思い出します。
 

 日本に帰られてから、私は知り合いからいくちゃんの病気のことを初めて聞きました。でも絶対大丈夫と信じていたのです。
 それから四ヶ月後、私の父が胃がんと診断され、
二ヶ月おきに三回日本に帰りました。
の間いくちゃんがEメールで私を励まして元気づけてくれてたのです。
初めは 病気のことにふれるのが申し訳なくて、
いくちゃんにどう接していいのかわからなかった私でした。
でも父の進行状態を通じて、いくちゃんはご自分のことも言ってくれたし、父のことも祈ってくれて私まで励ましてくれました。
なんか立場が反対です。
父の病気を通して家族の絆が強くなりました。
それと共に私はいくちゃんとこれまでと違った形の友情を感じました。
 

 天国で今頃、いくちゃんと父が自己紹介をしながら笑い合ってるのが感じられます。
よい思い出をいっぱい残してくれてありがとう。
今、永遠の世界での生活をうんと楽しんでね。
(2006年1月)