愚禿親鸞の海(3)
「鴨川のほとりを通っていきたいのですが」
と、親鸞は役人に頼んだ。
あたりの様子を見て、役人はしぶしぶ承知をした。
この場を穏便におさめたいのだろう。
親鸞たち一行は吉水の坂をおり、鴨川の岸辺への道をたどった。
露路の奥や、家々の物陰から、一行を追うように念仏の声がつづいた。
鴨川の流れに晩春の日ざしがきらめく。
風はそよとも吹かない。
親鸞は岸辺にたって、目をほそめた。
思えば8歳のとき、ここで河原房浄寛と知りあったのだ。
法螺房弁才とも、ツブテの弥七とも親しくなった。
この河原は自分の学び舎のようなものだった、と親鸞は思う。
きらめく流れに、19歳のときに出会った傀儡女の顔がうかんで消えた。
それと重なって、安楽房遵西の首が血をふいて落ち、
その首を抱いて河原を駆ける鹿野のすがたが、
幻のように目の前を通りすぎた。
親鸞は顔をあげて、東の峰々をながめた。
どっしりとそびえる比叡山は、かすみのなかに青黒く山裾をひいている。
幼いころ、ひたすら憧れた山だった。
そしてその山中ですごした20年の歳月。
慈円、音覚、良禅、そして荒々しい山法師たちの姿がうかぶ。
そこで学び、身につけたものは限りなく大きい。
だが、そのすべてを捨てて、自分はいま愚に還るのだ。
すでに僧ではなく、烏帽子さえもつけない禿頭の流刑の凡夫として。
感慨にふける親鸞の頬の横を、
不意にピュッと風をきって飛ぶものがあった。
思わず顔をあげると、
対岸の河原にたっている数十人の男たちが見えた。
先頭の赤い衣をきているのは、弥七だ。
左右にしたがう男たちは、たぶん、かつての印地の党の仲間たちだろう。
親鸞は胸の奥にはげしくこみあげる熱いものを感じた。
瓦のかけら、ツブテ、小石のようなわれら。
彼らこそ、わたしの師であり、兄であり、友であった、と親鸞は思う。
自分は終生、彼らとともに生きていくのだ。
闇のなかに、さえぎるものなき光を求めて。
親鸞は足もとの石を一つひろって、力まかせに投げた。
石は対岸にはとどかず、流れのなかに白い飛沫があがった。
彼らはいっせいに笑った。
そして、それぞれが手中のツブテを、春の空高くほうりあげた。
高い円弧を描いた石が流れに音を立ててつぎつぎに落下した。
その輝く水しぶきは、親鸞を送る印地の党の別れの盛大な挨拶だった。