愚禿親鸞の海(3)

愚禿親鸞の海(3)
                     親鸞 353   五木寛之 


「鴨川のほとりを通っていきたいのですが」
 と、親鸞は役人に頼んだ。
 あたりの様子を見て、役人はしぶしぶ承知をした。
この場を穏便におさめたいのだろう。
 親鸞たち一行は吉水の坂をおり、鴨川の岸辺への道をたどった。
露路の奥や、家々の物陰から、一行を追うように念仏の声がつづいた。
 鴨川の流れに晩春の日ざしがきらめく。
 風はそよとも吹かない。
親鸞は岸辺にたって、目をほそめた。
 

思えば8歳のとき、ここで河原房浄寛と知りあったのだ。
法螺房弁才とも、ツブテの弥七とも親しくなった。
この河原は自分の学び舎のようなものだった、と親鸞は思う。
 きらめく流れに、19歳のときに出会った傀儡女の顔がうかんで消えた。
それと重なって、安楽房遵西の首が血をふいて落ち、
その首を抱いて河原を駆ける鹿野のすがたが、
幻のように目の前を通りすぎた。
 親鸞は顔をあげて、東の峰々をながめた。
 どっしりとそびえる比叡山は、かすみのなかに青黒く山裾をひいている。
 幼いころ、ひたすら憧れた山だった。
そしてその山中ですごした20年の歳月。
 慈円、音覚、良禅、そして荒々しい山法師たちの姿がうかぶ。
そこで学び、身につけたものは限りなく大きい。


だが、そのすべてを捨てて、自分はいま愚に還るのだ。
すでに僧ではなく、烏帽子さえもつけない禿頭の流刑の凡夫として。
 

感慨にふける親鸞の頬の横を、
不意にピュッと風をきって飛ぶものがあった。
 思わず顔をあげると、
対岸の河原にたっている数十人の男たちが見えた。
先頭の赤い衣をきているのは、弥七だ。
左右にしたがう男たちは、たぶん、かつての印地の党の仲間たちだろう。
 親鸞は胸の奥にはげしくこみあげる熱いものを感じた。
瓦のかけら、ツブテ、小石のようなわれら。
彼らこそ、わたしの師であり、兄であり、友であった、と親鸞は思う。
 自分は終生、彼らとともに生きていくのだ。
闇のなかに、さえぎるものなき光を求めて。
 親鸞は足もとの石を一つひろって、力まかせに投げた。
石は対岸にはとどかず、流れのなかに白い飛沫があがった。
 彼らはいっせいに笑った。
そして、それぞれが手中のツブテを、春の空高くほうりあげた。
高い円弧を描いた石が流れに音を立ててつぎつぎに落下した。
その輝く水しぶきは、親鸞を送る印地の党の別れの盛大な挨拶だった。


               (新聞小説親鸞」は 8月31日完)