あたりまえ

郁代の気持ちそのままを書いてくださっているなあと、
涙が出てとまりませんでした。



         あたり前の中に幸せがある
                     養護学校教諭  山元加津子


あたり前の日が 
少しもあたりまえでなく
たくさんの何かに守られて 
たくさんの何かに愛されていた 
特別な日であったことを 
私はなぜ気づけずにいたのだろう
何かが起きても 
いつかそのことも 
日常になり、あたりまえになったとき 
そのあたりまえもまた 
たくさんの何かに守られて愛されていることを 
今度こそ忘れずに
私はすごしていけるだろうか
あたりまえのように 
今日も 風がそよぎ
山ぼうしの枝がゆれる 
あたりまえのように鳥のさえずりが聞こえ 
そして雨が降ってくる今日のあたりまえを 
ありがとうと思う気持ちを 
私はいつもどこかに 
置き忘れて
くるのだ

 
 
 ゆうこちゃんが、「つまらない。つまらない。ああ、つまらない」
と大きな声でつぶやいていました。
「何かあったの?」とたずねると、ゆうこちゃんは、
「何もないから、つまらないの。毎日何もかわらないんやもん、つまらない。いいこと何にもないんだもん」
と言いました。
そのとき、そばにいた、かーくんが言ったのです。
 「それってすっごく幸せって言うことだよね。
何かあったら大変。
何もなかったら、すごく幸せなことだよね」と言いました。
 「だって、昨日もおとといも、それから、今日も何も変わら
ないんだよ。
明日もあさっても、きっとそうだよ。退屈だよ」
 「僕、怪我をして、歩けなくなったときに、歩いていたときにすごく幸せだったんだなあとわかった。
でも、歩けなくなっても、今も幸せだなあとそう思う。
だって、歩けるから、歩けないからって関係なくて、
その日その日、こうして、友達といて、うれしいよね」
ってそういいました。


 ああ、本当だなあと私はしみじみそう思ったのです。
毎日があたり前のように過ぎていく。
その中にいろんな幸せがいっぱいいっぱいつまってる。
私はその幸せについて少しも気がついていなかったなあと思いました。
そして、感謝していなかったなあと思いました。
たとえば、息をしていること、
体が動くこと、
食べるものがおいしいこと、
誰かとお話を交わせたこと。
何もかもにありがとうと思う気持ちを忘れていたなあと思いました。

             「心ぽかぽか」(北国新聞11月28日)より


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