『平和への祈り』

平山郁夫さんのこと
              天声人語(12月4日)より転載


戦後すぐ、意気揚々と東京美術学校(現東京芸大)に入学した150人に、   校長は訓示を垂れた。
「諸君らのうち宝石はたった一粒です。その一粒を見つけるために君らを集めた。他は石にすぎません」。
亡くなった平山郁夫さんの回想である。


 自分は「石」だと思っていたそうだ。
3年生のとき、ついに見切りをつける。
だが新任の先生に
「君の絵はこれ以上、下手にならない。おおらかにやりなさい」
と言われ、続けることにした。
この一言がなかったら、膨大な画業の一切を、
私たちは目にできなかったかもしれない。


 大河を思わせる画業の原点には、広島での被爆があった。
だが15歳で見た地獄は、画家の筆を凍りつかせもした。
描きたいのは「平和」だったが、原爆の絵は心の傷口を広げるのが怖くて描けない。悩み抜いてたどり着いたのが仏教だった。


 「怒りではなく『平和への祈り』こそが私のテーマだとやっと気づいた」と、のちに語っている。
以来、出世作の「仏教伝来」からシルクロードをめぐる作品まで、その活躍に詳しい説明はいるまい。


 20年ばかり前、中国西域の砂漠の街カシュガルの民家で、
平山さんの絵を見た。
小さな複製をウイグル人一家が粗末な額に飾っていた。
娘さんの言葉が良かった。
「この絵のような砂漠が好きです」


 厳しい光景も、平山さんの内面を通るうちに浄化され、
静謐(せいひつ)な叙情となって画布に現れる。
それが砂漠の民も魅了したのだろう。
娘さんは自分も描きたいと盛んに言っていた。
一粒の宝石に、今ごろなっているだろうか。