誰に愛されたか  誰を愛したか

天童荒太さんがインタビューでお話していたこと。


『悼む人』について読者から頂いた手紙を見ると、
亡くなった人に対し罪悪感を感じている方が大勢いらっしゃった。
家族や友人をなくされた方は、どんな形の死であれ、
もっと自分は何かできたのではないか、
ことによれば死なせずにすんだのではないかと罪悪感をずっと抱えている。
近しい人の死に対して、
悲しむ以上に罪の意識を抱えて苦しんでいることに驚かされた。
だから、その死を悔いや罪の念で思い出すのでなく、


「その人は誰に愛されたか。誰を愛したか。
どんなことをして人に感謝されただろうか」
という言葉でその人が生きていたことを胸に刻んでいく。


そういう死の受けとめ方が新しい気づきになりましたといった手紙を、
とても多くいただきました。


「その人は死んだんだ」ではなく、
「その人は生きたんだ」ということと出会うことが本来の悼みとなる。
そのことをあらためて思いました。
                       (D新聞2月号より)


「郁代はこんなふうに生きたんだよ」
と、私はずっといいたかったのだと思ったのでした。