ユリちゃんのお話


山元加津子さんの今日のメルマガを転載させて頂きます。




(前略)
今日もメールを紹介させてください。
「なぜ、そんなことが起きたのかわかりません。
小学校5年の息子がお風呂でおぼれて、
ようやく危機を脱したものの、脳死の状態です。
メルマガはかなり前から読ませていただいており、
このことが起きたときに、
かっこちゃんとつながれていたことが、唯一の神からの贈り物のように思えてなりません。
なにか言葉をくださいませんか? 
宮ぷーのときに思ったように、百万に一つの話でもいいから」


震えました。祈り続けます。
「なにか言葉を」と言ってくださったけれど、
ただ、一生懸命祈りますとしかお話ができなくて・・・。
けれど、一番に思い出したユリちゃんのお話をさせていただきたいです。
ユリちゃんのお話は三五館さんから出していただいた
「ゆうきくんの海」と
「宇宙は、今日も私を愛してくれる」に載っています。

・・・・・・
私は、魂で人と人は気持ちをつなげ合うことができるのじゃないかと思うことがあります。
最初にユリちゃんに会ったのは、ユリちゃんの病室でした。
ユリちゃんは事故にあってこの病院に運ばれてきたのです。
それからもう半年が経っていました。
もう病状は落ち着いたということで、
ベッドサイド学習が行なわれることに決まったのでした。
わたしはそのころ病院に付属した学校に勤務していました。
ほとんどの子供たちは慢性の病気で病院に入院し、
病院から学校へ通ってきていましたが、
ときどき熱が出たり、点滴治療が始まったり、
病状が悪化して学校へ通えないようなときは、
ベッドサイド学習といって、
教員のほうが、病棟へでかけて授業をしていました。


ユリちゃんの担当が私と決まって、ユリちゃんに会う前に担当の看護婦さんに言われたのは、
「この子の脳をCTで見ると真っ黒なのよ。
ただ生きているだけでなんにも感じていないと思うのよ。
いくら学齢期でも、授業となるとつらいと思うわ。
ユリちゃんはもうすぐ転院にきまっているの。
ユリちゃんもおうちの人もがんばったのだけど長期戦になっちゃったわ」
ということでした。
ユリちゃんは一応の治療をここで終え、
最重度の障害児施設に移されるということでした。
そしてそれまでの期間、ユリちゃんの学年の担任がわたしだったので、
ユリちゃんのベッドサイド学習はわたしの担当になったのでした。
 病室にいるまだ会ったことのないユリちゃん。
看護士さんから聞いた、ユリちゃんの事故の話、
そしてCTスキャンで撮ると脳が真っ黒だということなど、
いろいろなことで私の心はいっぱいになっていました。
だから、初めてユリちゃんの病室の扉を開けるとき、
とても緊張していたのを覚えています。


ユリちゃんの体にはたくさんのチューブや機械がつなげられていました。
息を大きくすって「こんにちは」と言いながら入っていった病室からはなんの返事もありませんでした。
「私、名前は山元って言うの。ユリちゃんよろしくね」
何を言ってもユリちゃんからはなんの反応もありませんでした。
次にわたしは何を言ったらいいのでしょう。
何をしたらいいのでしょう。
わたしは一日にたった一時間ユリちゃんといられるだけなのです。
でもそのたった一時間ですら、
わたしは何をしたらいいのかわかりませんでした。
あいさつをしたあと、わたしはそこに立ちつくしてしまいました。
頭でもいい、指一本でもいい、髪一本でもいいから動かして返事をしてくれないだろうか。
祈るような気持ちでユリちゃんといるけれど、
ユリちゃんは息のために、胸がかすかに上下する以外はどこもまったくと言っていいほど動かないのでした。
看護婦さんの「生きているだけ」という言葉が頭をよぎりました。
本当に「なにも感じていない」のでしょうか。


 「ユリちゃん、足をさすってみるね」「握手してみようか」「くすぐったいかもしれないけれど、お顔さわっていいかなあ」
どんなに話しかけても、ユリちゃんからはどんな反応もないのです。
 一時間たって病室から出ると、
ナースセンターの看護士さんが、声をかけてくださいました。
「どう?大変でしょう?わたしたちもユリちゃんがちゃんとわかっているんだと思ってお世話させていただいているんだけれど、
でもユリちゃんはむつかしいわ。
音に対する脳波の検査、痛みに対する検査、みんなだめだったのよ。
ただ生きるという最低限の能力だけが残っているのよ。
こんなふうに言っていいかわからないけれど、言っ
てみれば石を目の前にしているようなものよ。
むなしくなってしまうから、考えこまないで。
一応義務教育ということで、その時間そばにいてくれたらいいから」
立ち直りも早いのだけど、すぐに落ち込んでしまうという私の性格をよく知っている看護士さんは、
すっかり肩を落として病室から出てきたわたしをおそらく元気づけようと、してくださったのだと思います。

 

 わたしは看護士さんの言葉を後に、
逃げるようにして病棟から学校へ戻ってきました。
何も聞こえない、触ってもたとえたたいたとしても何も感じない、
それが本当だったら、わたしはユリちゃんにいったい何ができるのでしょう。どういうふうに毎日時間をすごしたらいいのでしょうか。
涙があとからあとからあふれてきました。
どうして涙が出るのかわからない。
でも心が揺れて揺れてとまらないのです。
 明日、またユリちゃんとの時間がやってきます。
ユリちゃんのことが一日中、頭から離れませんでした。
ユリちゃんは本当に石のように何も感じないのでしょうか。
何も考えていないのでしょうか。


 心が重くなって大きなため息をしたときです。
その瞬間、「あ、そうよ、そうなのよ」と思ったことがあったのです。
それは(ユリちゃんは息をしている)ということ
でした。息をするのはどうしてなのでしょう。
息をしないと苦しくなる、苦しい気持ちになるから、
だから息をしているのじゃないのでしょうか。
医学的なことはわかりません。
ユリちゃんは容態が悪くなると、呼吸器にたよることもあるけれど、
自発呼吸がまた出てきて、それから少しづつ呼吸器をはずすという繰り返しをしてきたということでした。
だったらユリちゃんはきっと(苦しいから息をしよう)って考えてる
んじゃないかしら。
きっとそうよ、ただ、ユリちゃんの内側の気持ちと外側の気持ち
の交信がうまくいけてないだけなんだわ。
 そう思ったとたん、さっきまで気が重かったのがうそのように、
ユリちゃんに早く会いたい、
早く明日になるといいと思うようになりました。

 
 でも、ユリちゃんに会ったとたん、
やっぱり、私はどうしたらいいかわからなくなりました。
仮に苦しいと考えて息をしているとしても、
今どうやったらユリちゃんの内側の気持ちと交信する手がかりが得られるのかという大事なことが少しもわからないのです。
 けれど、ユリちゃんとの一時間はとても大切な時間です。
いっしょにいて、何もしなければ、
わたしたちは何も交わることがなく終わってしまうでしょう。
きっとお互いに出会えた理由はあるはずなのに……

 
 看護婦さんにお願いをして、それからもちろんユリちゃんにも話かけながら、ユリちゃんの体のいろんなところをさわらせてもらうことにしました。手の先、お腹、額、首、どこかでわたしと話をしてくれないかと祈るようにしてさわりました。
そしてまぶたの上から眼球にふれたとき、
ユリちゃんの眼球の小さな震えに気がつきました。
それまであまりにもユリちゃんの体が静かで、少しも動かなかったので、
眼球の震えはわたしの気持ちまで震えさせたようでした。
 そうだ、もしかしたらここで、ユリちゃんはわたしにお話しをしてくれるのかもしれない、
そう思って、窓をあけて風をいれてみたらどうだろうか、音楽をならしてみ
たらどうだろうかと考えました。
最初は気のせいかもしれないと思ったけれど、
窓を開けるとユリちゃんの眼球の震えは震えというより、
ピクンという動きに変わったように思いました。
ユリちゃんは窓から入ってくる音や、空気の流れや、温度や、
においや何かわからないけれど、
それらの刺激を感じているのではないかと思いました。
そして、脳波もピクンピクンと動いているのに違いないと思ったのです。

 
 今日が山かというふうに危篤状態が続いていたころは、
毎日のように通っておられたおうちの方が、病状が安定してから、
足が遠退いているというお話を看護婦さんからきいていました。
けれど、その日、ひょっこりお母さんがみえたのです。
わたしは初めての挨拶に加えて、自分が今日感じたことを話しました。
でもお母さんは黙ったままでした。
おそらく今までとてもつらいことの繰り返しで、
ユリちゃんが何かに対して反応するということなど、
もう考えないようにしておられたのだと思います。


「眼球をまぶたの上からさわってみていただけますか」
そうして窓をあけたとたんでした。
お母さんの目から涙がポロっと流れおちました。
「たしかに、たしかに目の玉が動きました。
この子は何かを感じているのでしょうか」


「わたしはそう信じています。窓を開けたからというだけでなく、ここにお母さんがきておられて、
今そばにおられることもなにもかもユリちゃんは感じていると思います。
ただわたしたちにそれを伝える方法を今もっていないだけだと思うのです」
 医学的なことを何一つ知らないものがこんなふうに言ってよかったものかどうかはわかりません。
でも、お母さんは声をあげて、激しく泣かれました。
そしてひとしきり泣かれたあと、まだ泣きながら言われました。


「ここに毎日くるのがつらくてつらくてしかたがなかったのです。
でも来ないのもつらかった。
この子が私が来たと気づき、私を喜んでくれていると思える証がほしかっ
たです」
 わたしはお母さんとユリちゃんといっしょに、もう少しの時間だけど、
気持ちのやりとりの方法を探そうと約束しました。


 お母さんは
「小さい頃うたった子守歌をうたってみようと思うのだけど……」
「あの子が好きだった、テレビの歌はどうかしら。
それからチャイコフスキーのピアノコンチェルトをいっしょに聞いたので持ってきたの」
とたくさんの提案をしてくれました。
お母さんはうれしそうで、それからとても張り切って見えました。
 そして、ユリちゃんの眼球はお母さんの歌や、チャイコフスキーのピアノコンチェルトで確かにピクンピクンと動いたのです。
私がそのときに思ったこと、
それはたとえ耳の感覚が麻痺していたとしても、
目の感覚が麻痺していたとしても、
それから皮膚の感覚が麻痺していたとしても、
人間は魂で聞いたり見たり感じたりできるのではないかということです。
ユリちゃんの魂はお母さんの子守歌やお母さんの思い出で、
目覚めてきたのだと思ったのです。
 しばらくしてはかった脳波にもよい変化があらわれたと聞きました。
ユリちゃんはまもなく転院していきました。


 結局わたしはユリちゃんと確かな気持ちの交信をする方法をみつけ出すことはできないままでした。
けれど、ユリちゃんはきっとあのやさしいそしてユリちゃんと誰よりも話をしたいと願っておられるお母さんとの間で、
いつか交信の方法をお互いにみつけていくのではないかと思いました。


 そして10年以上たったときに、私は、病院の待合室で偶然にユリちゃんとお母さんに会ったのです。
驚いたことにユリちゃんは車いすに乗っていました。
お母さんが絶えずニコニコと話しかけ、ユリちゃんもまた大きな目をあけて、お母さんの顔をじーっと見ていました。


「ユリはなんでもわかるんですよ、病院で奇跡的だってほめられました。
残った脳の機能がね、働いてくれているらしいです。
それにはとにかくいっぱい話しかけることなんですって。
私、あのとき、もうすっかりあきらめていたのです。
こんな日が来るなんて、今は楽しくて仕方がないんです」
お母さんはまたニッコリと笑っていました。
 

 お医者さんにうかがうと、お母さんの愛情と愛情による絶え間ない言葉かけが刺激となって、ユリちゃんの脳に新しい神経細胞の軸索が伸び、
新しいネットワークを作り、失った脳の代わりをしているだろうということでした。
・・・・・・・

それぞれの場合でいろんなことが違っているので、
息子さんの場合はどうかということはお会いしてもいないし、
私にはわからないけれど、
ユリちゃんはどうだったかというお話をさせていただきたかったです。
                            (後略)



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