千恵ちゃんの「ありがとう」 2

芙蓉


かっこちゃんの日記配信
第701号 「宮ぷー心の架橋プロジェクト」(2011年7月8日)より抜粋、転載させていただきます。
千恵ちゃんの「ありがとう」1への、読者からのお礼のメールです。
  


Saraさんからのメールです。
・・・・・
千恵ちゃんの「ありがとうの花」のお話と、
宮ぷーの「尿器あてて」のボタンの割り当てを「ありがとう」に替えた話を読み、頭をガーンとたたかれたような思いがしています。
私は特別支援に通わせている親です。
佑子は中学生になります。
特別支援に世話になっていますが、私のなかに、いつも佑子を守らなければならないという気持ちがあります。
女の子ですから、男の先生にはあまり手をつないだり、
触ったりもしてほしくないし、
女の先生にも、
ちょっとでも、乱暴な人には遠慮なく、文句を言っています。
家に帰ってくると、手や足にあざなどがないか、毎日調べています。
それだけ子どもが可愛いのだから仕方がないと思っています。


 ところが、今年担任になった先生が、かっこちゃんの1/4の奇跡の本とCD「雪絵ちゃんの願い」を貸してくれました。
担任になった先生が、
「私はかっこちゃんにあこがれているんです。
佑子ちゃんとお母さんとも仲良くなりたいです」
と連絡帳に書いてありました。
そういうことを書いてくれた先生は初めてでした。
先生は私が学校へ佑子を送って行き、迎えに行くたびに、
たとえば、私が学校や先生に文句を言っても、必ず「ありがとうございます」と笑っています。
「すみません」という言葉は今まで多く聞いてきましたが、
「ありがとう」という言葉をあまり聞いてなかった気がします。
私のなかにどこか、
教員は子どもたちのおかげで、給料もらってるんだから、
私たちはお客さんだろうという意識がずっとありました。


 そんな私ですから、千恵ちゃんのお母さんのような言葉を佑子に伝えたことがなく、いつも先生の文句を聞かせてきた気がします。
けれど、私が言うのもおかしな話ですが、
佑子は、よく「ありがとう」という言葉を使います。
私が佑子に「そんなに先生にありがとうと言わなくてもいいよ」と言うと、さびしそうに私を見ていました。
よくわからないけれど、私は、もっと先生たちを信じようと思えました。
そして、感謝しようと思いました。
こんな変な話ですみませんが、お礼を言いたくて。
ありがとうございます。
・・・・・


 Saraさん、うれしいメールありがとうございます。
佑子ちゃんの先生にもどうぞよろしくお伝えください。
とてもとてもうれしかったとお伝えいただけますか?
おうちの方にとって、お子さんがとても大切なのは当たり前のことです。
だから、たとえば、
図工の時間や家庭の時間や体育の時間に小さな傷でも作ってしまうと、
お母さんやお父さんが「心配しないで」と言ってくださっても、
子どもさんの傷のこともそうだけれど、
おうちの方もどれだけ心配させてしまっただろうとか思って、
心が痛くなります。
子どもたちは大事な大事な宝物。
その思いをずっと強く持っていたいと思います。