金沢泰子さんインタビュー(5)





読売新聞医療サイト「こころ元気塾」より、



金澤翔子さん母、書家・金沢泰子さんインタビュー(5)
            ダウン症であっても、すばらしい人になれる


 ――最近、東大寺で個展を開いたそうですね。

 「昨年12月、奈良の東大寺で1週間ほど開きました。
そのうち、1日は大仏のそばで書を披露する「席上揮毫」もしました。
実は翔子は、中学の修学旅行で東大寺を訪ねたことがありました。
主人が亡くなった少し後のことです。
翔子は当時、大仏をみて、主人に似ていると思ったようです。
それ以来、大仏をみると、『お父様がいる』と反応するのです。
翔子が22歳くらいの頃、お父様の前で書きたいと言い出しました。
だから今回の個展はそれがかなったとうれしくなりました。
翔子は、お父様がついていてくれたからうまく書けたと喜んでいました」






 ――ダウン症の子をもつ親たちにどんなメッセージを送りますか。


 「ダウン症であってもすばらしい人になれるということです。
後悔していることがあります。
翔子について、私は当初、祝福されるべき存在なのに、どうやって一緒に死のうかとばかり考えていました。
初めて見るお母さんが泣き、そんなことを思っていたわけです。
なぜそうだったのかというと、当時はダウン症に関する情報がなく、希望がありませんでした。
今とは時代背景が違います。
健常者と障害者のどちらにも希望と失望があるのに、
障害者だと希望はないと思いこんでいました」


 「日本一不幸だと思っていましたが、26年の時をへて、今は日本一幸せだと思っています。
だから、ダウン症の子を持つ親御さんに翔子の輝く姿を見てもらおうと、講演などに連れて行くのです。
当初、知能がなく歩けないかと言われた子が今、元気いっぱいではち切れそうです。
お利口さんで、いつも他の人の役に立ちたくて仕方がない優しい子になりました。
こんなに元気になるから泣かないでと講演では話しています」


 ――ダウン症の子の子育てについて、世の中に望むことはありますか。


親の死後に住む、グループホームなど充実を


 「それは、親の亡き後のことです。
ダウン症の子は完全に自立することは無理です。
お金や社会のことはわかりませんから。
親が死んだ後に住むグループホームや施設などを充実させる必要があると思います」                  (おわり)

                    (2012年1月30日 読売新聞)





(1)娘がダウン症…一緒に死のうと思った


(2)地震でとっさに娘抱き、育てる決心付く


(3)20歳で初個展…2000人が来場


(4)欲望ないと、深い愛情に満ちた子に