さんしょう太夫


観劇の市民サークルで、
前進座「さんしょう太夫」 -説経節より- を観ました。


    「安寿と厨子王」の原曲である説経節「さんしょう太夫
    ドラマは、説経師たちによる日本古来の楽器の演奏と、
    ご詠歌、 和讃、謡曲、中世歌謡、民謡などの
    「語り」「唄」に乗って想外な展開をしていきます。


「さんしょう太夫」は「山椒大夫」の話であり、
安寿と厨子王」の物語です。
簡単に言えば、平将門の孫というような高貴な身にありながら、旅先で人買いにたぶらかされた姉弟が、「山椒太夫」に売られ、過酷で不慣れな奴隷として生活を強いられる。
その後、弟が脱出し、出世して復讐するという話で、離別した母との再会のシーンもあります。
そもそもは、説経節「さんせう太夫」が元の話です。


壺齋閑話ブログによると、
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説経「さんせう太夫」は、高貴の身分の者が人買いにたぶらかされて長者に売られ、奴隷として辛酸をなめた後に、出世して迫害者に復讐するという物語である。
高貴のものが身を落として試練にあうという構成の上からは、
一種の貴種流離譚の体裁をとっているが、
物語の比重は、迫害を受けるものの悲哀と苦しみに置かれており、
故なき差別や暴力への怨念に満ちたこだわりがある。


中世の日本には、支配する者とされる者との間に、厳然とした溝があり、過酷な対立があった。
そして、支配される者の底辺には、譜代下人と呼ばれる階層があり、
支配者に身分的に隷属して、奴隷のような境涯に甘んじていた。
かれらは、人にはなれぬ製外者(にんがいしゃ)として扱われ、
支配者による搾取のほか、苛烈な差別を受けていた。


「さんせう太夫」が語る世界は、こうした下人の境遇なのである。
説経を語る者たちも、定住の地を持たぬ漂泊の民であり、
「ささら乞食」として差別される身であった。
その彼らが語ることによって、故なく貶められていた人々の情念が乗り移り、物語に人間の叫びを伴わせた。
聞くものをして身を震わせ、今日の我々にも訴えかけてくるものは、
この人間の魂の叫びなのである。


森鴎外は、説経「さんせう太夫」を素材にして、
小説「山椒大夫」を書いた。
鴎外は、説経のあらすじをおおむねにおいて再現しながら、
親子や姉弟の骨肉の愛を描いた。
すぐれた文学作品として、今でも人の心を打つ。
だが、鴎外は人間の感情の普遍的なあり方に比重を置くあまり、
原作の説経が持っていた荒々しい情念の部分を切り捨てた。
安寿とつし王が蒙る、悲惨な拷問の場面や、つし王が後に復習する際の凄惨な光景などは、余分なものとして切り捨てたのである。
しかし、本来説教者がもっとも力を入れて語ったのは、こうした部分だったに違いないのである。
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前の方の座席で観れたので、表情、息づかいまで伝わってきて迫力がありました。
舞台に引き込まれ、あっという間に時間が過ぎていきました。