出生前診断について







かっこちゃんこと、山元加津子さんのメルマガ第1150号
「宮ぷー心の架橋プロジェクト」(2012年9月29日現在 参加者人数5349人)より抜粋させていただきます。                     


お母様からメールをいただきました。
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かっこちゃん、星野ひとつさん、こんにちは。
講演会で、ダウン症の娘と一緒に、握手をしていただいたものです。
ここのところ、新聞やテレビをにぎわしている出生前診断について、
思うことがありメールしました。
真っ先に思ったのは、娘を授かったのが今でなくてよかった、ということです。
もし今だったら深く考えずに検査を受けて、おそらく中絶していたでしょう。
ダウン症候群がどんなものか知らないから。
そうしたら娘に会えなかった、
そう思うと、検査をうけなかったことに感謝せざるをえません。


娘は、これもできない、あれもできないと、
引き算の子育てしかできなかったわたしに、
ダウン症なのに、あんなこともできる、こんなこともできる、という、
足し算の子育てを教えてくれました。
この子の兄が
「いいな、レイナは、歩くだけで誉められて…」
と言ったことは一生忘れられません。
私は兄をだきしめて、泣きながら謝りました。
誰だって、何かできて当たり前じゃない、すごいことなんですよね。
兄も、もっともっと認めて育ててあげたかった。


この子から教えられたことは、数知れません。
人を妬まない、うらやまない、くらべない、
無条件で人に喜んでもらうことのすばらしさ、
自然には逆らわず身を任せる、本当にきりがありません。
この子と、この子がくれた色々なものは、
神様がくれたブレゼントだと思うのです。
間違いなく、この子は神様から使命をうけこの世にきた、
私は、そんな天使を育てるありがたい役目を授かった、
そんな風に思います。


子育ての大変さは、楽な時があると気づくもので、
いつもいつも一緒にいるから、そういうものなんだと、
大変さを自覚することはあまりありません。
女の子を育てたあと、男の子を育てたら大変でびっくりした、
位の感じです。
だから、育てたことがない人にとっては大変にみえるかもしれないけど、
育ててる人にとっては、それが普通のことなのです。
もしかして、本人たちもそう思ってるかもしれませんね。
何かと不自由で大変にみえるかもしれないけど、
生まれた時からこのからだでやってきたから、
本人は何が不自由かわからない。


ユニセフの、3.11生まれの赤ちゃんの映像見ました。
このかわいい、ダウンの赤ちゃんが、
これからは間違いなく少なくなってしまうと思うと、やはりさみしいです。
朝晩、冷えますね。宮ぷーの熱が下がっていますように。
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とても温かい気持ちになりました。




ハッピーバースデイー 3.11




フィンランドの森広場の花さんも、
ブログでご自分の思いを伝えておられます。
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「弱い物が、強いものを守っている」
弱肉強食を発想転換させた、その真逆の考え方は、
私にはゆるがない湖の水面が映してくれる紅葉の森の姿みたいに、
心にすうっと平和を与えてくれます。
そして、かっこちゃんも言われているけれど、
どちらかがどちらかだけを一方的に守っている、
守られているということはない、
私たちが気づくと気づかないとに関わらず、どこかでみんなお互いつながって織りあわさって生きてると、そう想うのです。


自身のダウン症の娘舞と過ごしていてはっきりと感じること、
舞は私たちに、私たちだけでは絶対に学べなかったものすごくたくさんの大事なことを教えてくれます。
舞はほんとに、我が家の「richness 豊さ」だと、私は思っています。
人は、何をしないでも、ただいるだけで、意味がある。
生きてるって、本当にそれだけで意味がある。
だって単純に、誰かがいてくれるだけで嬉しいことっていっぱいありますよね。
誰かを想うだけで温かい気持ちになる、
強くなれるってこともいっぱいある。
そういうこと、知識としてではなく、私は自分の体験を通してすごく強く感じることができるようになりました。


彼女と関わることで、このたった1人の小さな、でも大きな存在があることで、その周りの私たちは、無意識に大きく変わっていっている。
そしてそのことは社会にやはりなんらかの影響を与えてゆくものなんだろうと思います。
私が関わる人、夫が関わる人、海が関わる人。
なんだかとどのつまりは、障害あるなしなんて、ほんと関係ないんですよね。
私の書いてる事、気づけばいつも全部人間誰にでも同じように言える事ですね。
かっこちゃんが特別支援校のお友達と長い間一緒に過ごしてきてずっと感じているとおっしゃる
「隔てなく誰でもみんな、私たち一人一人の存在にはやはり唯一無比の大
きな意味があって、一人一人がつながりあって、折り重なって自然の懐で一つの大きな命を共有している」
ということは、こういうことなんだなぁと。


誰かに聞いた言葉ではなく、私自身の体の中もすうっと一度通って、
体験として自分の言葉として出てくるほどになったのは、
やはり舞のおかげです。
どう生まれるか、それは誰にも等しく、選べない、でも逆にどう生きるか、それは私たち一人一人の手の中にあるし、大きな希望ですよね。
私は、そう信じます。
ではではまた!日本のさんまが食べたくて仕方ない〜、
あ〜、でも、ここには絶品きのこがあるぜ!と元気を自家発電中の、
森のアイティより
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花さんありがとうございます。
心がすごく静かになって、私はまた、幸せってなんだろうと考えています。私たちはいつも、いつも、本当に幸せ。絶対に幸せ。
なぜならば、いつも一番いいように守られてここにあるから。
あたえられたものやことや人、
なにもかもが、全部最善に私はやっぱり思います。        かつこ




もし自分だったら・・・、
当事者になってみなければ、はっきりした答えはやはり言えません。
出生前診断、これからも深く考えていきたいと思います。