信じて、ぼくの言葉 

白雪姫プロジェクトの強力な応援団のお一人、
柴田保之先生 の記事、朝日新聞(10月3日)で読みました。
かっこちゃんのメルマガに、記事の内容が書かれていました。


かっこちゃんこと、山元加津子さんのメルマガ第1157号
「宮ぷー心の架橋プロジェクト」(2012年10月6日現在 参加者人数5354人)より。   


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「信じて、ぼくの言葉 重い障害の少年が伝えたかったこと」


 障害が重いために言葉を理解できないと考えられてきた人々も、
実は言葉の世界を 持っている。
それを社会に伝えたいと願った少年が、志半ばの16歳で亡くなった。
かすかな体の動きを拾う特別のスイッチで入力された文章が残された。
「せっかくい ろいろなこどもたちが ことばをつかっているのに しんじて」。
彼の文はそう訴え かける。

 
東京都港区の臼田輝(ひかる)君。
1994年、1歳の誕生日直前にマンションの 5階から転落した。
生死の境は脱したが、筋肉一つ自由に動かせない。
発作があった り、たんがからんだり。寝たきりの生活が始まった。
愛育養護学校(港区)の小学部 に入ったが、脱臼、劇症肝炎、気胸、肺炎などで入院を重ねた。
 そんな輝君が文字の入力スイッチに出あったのは2006年9月、
都立光明特別支 援学校(世田谷区)中学部1年のとき。


国学院大の柴田保之教授(54)=障害児教 育=が身体障害者用の文字入力ソフトを改良した。
輝君がスイッチに手のひらをかけ、50音を読み上げる音声を聞きながら、選びたい文字のところでスイッチを動か す。
そのわずかな反応を拾って柴田教授が入力する。


 輝君は1回目、何の動きもなかった。 
2回目の11月、かすかな動きがあった。
食べたいアイスを尋ねると「ば」。「ばにら」の意味だった。
07年3月の4回目、 スイッチが小さく動いた。
1時間余りかけて表現した。


〈せかいからせんそうがずっととだえて てきみかたきめずに くらしていけたらいいのに。〉


「1字ずつの入力 だったが、だんだん、とてつもなく大きな話だとわかってきた」
と柴田教授は言う。
母の真左子さん(53)も驚いた。
息子の目が、母親たちの井戸端会議を聞きながら 輝く瞬間があると感じていた。
言葉がわかっているに違いないと思ってはいた。
でも、「こんな世界を持っていたとは」。
輝君の言葉はそれからあふれ出す。
08年7月、愛育養護学校の教師が見に来たときは、柴田教授が勝手に操作していると思われたくないと体をよじらせ入力し、発作を起こした。


〈せっかくいろいろなこどもたちが ことばをつかっているのに しんじて〉 そして8月。
〈くなん それはきぼうへのすいろです。
けっしてあきらめてはいけないということを おしえてくれます。〉


入力した文章はすべて印字し、愛育養護学校顧問の津守眞さんに郵送された。
津守さんは輝君が4年生のときから、聖書や絵本の読み聞かせを続けていた。
表現し、送って、返事が来る。
「先生に送るというと、たとえようもなく喜んでいた」と真左子さん。
輝君は10月になると、なぜ自分の言葉が研ぎ澄まされるかを明かした。


〈けっしてなにもするわけでもなく 
ただじっと ことばだけをつかっていきてきた 
しかも いちどもそのことばを だれにもはなさずに いきてきたので のんふぃく しょんのどらまのようなせかいを すごしてきた 
どらまよりも すさまじいたいけ んをしてきた 
だから ことばがとぎすまされてくるのは あたりまえのことなので す〉


翌09年1月、忍び寄る死の気配を伝えた。
〈しは ししのようにおそいかかって くるかもしれないが ちいさいぼくは ひとり くとうをつづけていくつもりです〉


2月、こう表現した。
〈きぼうそらにおもいえがきながら このきれいなとびらを あけて いいみらいにむかって うえをみつめながら くるしみは きのうのものと して あかるいゆめをみながら あるいていこう〉
それが「絶筆」だった。


4月26日朝。真左子さんが目覚めると、かたわらで輝君は息絶えていた。
死因は15年前の「事故の後遺症による心停止」とされた。  
輝君は文章を手紙にして出版社に送り、発表したいと表現していた。


〈このぶんしょうをてがみにして ほんをだしているかいしゃに おくってもらえませんか はっぴょうしたいですが なんと かなりませんか〉
遺志をかなえたいと養護学校の関係者らが輝君との思い出を寄稿し、
彼の言葉を中心に本をつくった。

真左子さんはこの7月、大東文化大学で教育 学を学ぶ大学生を前に語った。
「息子が幸せだったのは文章を残せたことより、重い障害があっても、
一人の人間として向き合って下さった方々がいたこと。
子どもの前に立つ皆さん、
その子の目の輝く瞬間を、どうか見逃さないでください」


本は「輝 いのちの言葉」。千円。問い 合わせは愛育養護学校の「輝編集委員会
(03・3473・8319)。(編集委員・氏岡真弓)


●臼田輝君の言葉
よもすえというかんがえかたは まちがっていて かのうせいにかけるべきです。 
にんげんのことを あきらめてはいけないとおもいます。 よきひよきときに めぐりあうことを しんじよう。(2008年4月2日)


せっかくのことばが ことばとして こうのうがきのように うけとめられてしまい ざんねんです(中略)すばらしいのはつらくても ことばがあることです ことばこそ ぼくたちにとってひつようなものなのです (08年10月14日)


きぼうがすっかり きのうのおもいでになってしまったら すなおなきぼうの しに たえたきみょうなせかいが おとずれるだろう ついにきぼうのすみきったせかいが  おとずれたとき しあわせはどういうかたちになるのだろう しあわせはちいさなよ ろこびとなって しあわせとよぶひつようもなくなるだろう(09年1月7日)


■絶望するケースも
国学院大学の柴田教授の話〉 重い障害で「はい」「いいえ」も言えないため、赤
ちゃん程度の発達段階と見なされる人もいる。
だが、多くは言葉を持っている。
彼ら がスイッチで表現するのを、大学や特別支援学校などで1997年から助けている。
本当に本人の言葉なのかと疑念を持つ人もいる。
やっと表現できた喜びを感じている本人が、
信じてもらえない現実に再び絶望するケースもあった。
意思を持ちながら認められないのは、人間としての存在を否定されること。
その恐ろしさを想像してほしい。
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すごくすごくうれしいです。ばんざーい。
                           かつこ



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