「ようこそ、白山へ」

白山









白山スーパー林道の動画です。
ドライブしながら紅葉が楽しめますよ。ごらんくださいね。




昨日、「どうぞ金沢へおいでください」と書いていたら、
かっこちゃんのメルマガにあった、野口健さんが語る
「ようこそ、白山へ」のお話を思い出しました。
白山は、郁代が子供のころ一緒に登った山、
私も最近、 白山の麓で同窓会 があったばかりです。



かっこちゃんこと、山元加津子さんのメルマガ第1188号
「宮ぷー心の架橋プロジェクト」(11月6日)は、


〈白山が大好きです〉   でした。


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昨日、みんなとしていた白山の話です。
私が朝早く、講演会に出かける前に、テレビ寺子屋を観ていたら、
アルピニスト野口健さんが出ておられました。
有名な世界のいろいろな山に登ると、ごみが目に付く。
そのゴミは、日本語の文字がついているものもあって、そのとき、外国の人に
「日本人はこの山を富士山にしようとしているのか?」と言われて、
え?どういうこと?と思ったら、
その方は富士山は、ゴミがいっぱい落ちていて汚れていると言われたのだそうです。


健さんはいつも冬に富士山に登るので、ゴミが落ちているのを見たことがなかったけれど、夏に登ったときに、ゴミがいっぱいあったり、頂上に自動販売機がずらりと並んでいるのを観て、すごく驚かれたそうです。


そこで、健さんは、白山の話をしてくださいました。
白山に登ると、出会った人が決まって言う言葉がある。
それは
「ようこそ、白山へ」
という言葉だそうです。
つまり、白山は地元の人にすごく愛されていて、
だから地元の人がたくさん登っていて「ようこそ」と言う。


ところで、白山にはほとんどゴミが落ちていない。
地元の人は白山を愛しているからゴミを落とさないし、県外の方が落とされても、
そのとたんに、地元の人たちが、すぐにそのゴミをなにごともなかったかのように拾う。
頂上で
「この山は美しいですね」
と言ったら、
「それは当たり前のこと、自分の大切なところを、誰も汚さない」
と言われて、富士山だって、そんなふうに、誰もが大切に思う日本の山だから、
「ようこそ富士山へ」
と言うようになればいいのになあ…そんなお話しでした。


私は白山のふもとに住んでいますから、本当に本当にうれしかったのです。
そして、ひろこちゃんもまこちゃんも、白山が大好き。
白山によく登られます。
健さんの言われるとおり、石川県の人はよく白山に登ります。
しばらく登らないと登らなくちゃとか、登りたいと思うのだそうです。
そして、白山の大好きな石川県の人たちは、
白山が守ってくださっているということをしょっちゅう口にします。


白山のお話は白山が大好きな私にはとてもうれしかったけど、
でも、富士山だって、大好きです。
日本人ならきっと誰もが大好きな大切な山だから、健さんがいわれるように、
「ようこそ富士山へ」
と言えるような思いでいたいです。


昨日はひろこちゃんが、こんな話をしてくださいました。
白山の頂上では、お水は下へ流れてしまっていてあまりない。
だから、上で使うお水は少し下の湧水をもらってきて、使う。
そのときに、頂上におられる方が
「白山の神様は何も、自分のためにためないし、残さない。
全部みんなに分け与える」
私はてつやさんが何度かしてくださったお話を思い出しました。


てっちゃんがまだすごく若いときに、アンデスで出会ったおばあちゃんに聞いたそうです。「人間として一番いけない人はどんな人か?」するとおばあちゃんは
「てつや、それはためる人だよ」と言った。てっちゃんは、
「え?だって、お金ためて、ここに来れた。ためないとこれないよ」と言ったら、
「そういうふうに目的があって、ためるのはいいけれど、本来、人間の血がよどみなく流
れるように、なにもかもが流れている。
自分のために、ただ、ためるというのはよくないよと言われたそうです。
そんなお話も思いだしたり、あるいは、私たちは本当は、自分のためというより、誰かのために、相手のために、生きるときこそ喜びがわいてくるものなのかもしれないなあとなんだかそんなことも思いました。
・・・・・


かっこちゃんが伝えたいメッセージは
「誰かのために、
相手のために生きるときこそ喜びがわいてくるものなのかもしれない」


郁代の最期の姿に重なりました。


☆ 2012年12月8日
山元加津子さん&紙屋克子さん講演会のご案内です。


富山・金沢・福井経由の日帰りバスが出ます。
メールでの連絡先(金沢)は“まこさん”まで。
mako13@i.softbank.jp