お母さんでなくてよかった・・・
笹田雪絵ちゃんの「身代わりシステム」に、
「代われるものなら代わってあげたいなんて言われることあるけれど、
世の中そういうシステムがなくて良かったと思います。
だってもし私が誰かと代われるとしたら、
誰にこの病気あげていいか分からないもん・・・」
とあって、
郁代が言っているように聞こえました。
「お母さんの代わりに、病気になんかならなくてもよかったんだよ」
「代わってあげれなくてごめんね」
と言ったとき、
「お母さんが病気になったらいやだもの。
お母さんでなくてよかった・・・」
と、郁代が言ったからです。
かっこちゃんのメルマガ第1202号
「宮ぷー心の架橋プロジェクト」(11月20日)からです。
今日は宮ぷーが倒れて、3年と10カ月目になりました。
昨日のこと、私は急になぜだかわからないけれど、本当に急に、
「宮ぷー、かわれたらいいのに、私できない。ごめんね」
と言いました。
ずっと自由が効かないで、
たまたまだけど、おしりの下になってしまっていた左手の赤紫色を見たときに、あふれるようになんだかそう思って言いました。
宮ぷーはちょうどおしゃべりの練習を一番にしようと思って、
スピーチカニューレをつけたところだったので、
そんな私に「いいよー」「いいよー」と言いました。
それは、いいよいいよというようなことではなくて、
宮ぷーができるせいいっぱいで、そんなこと思わなくてもいいんだよ。
大丈夫だからねと言ってくれたように思いました。
私はまた泣けました。
「いいよ」という宮ぷーの優しさに泣けました。
私は雪絵ちゃんの身代わりシステムという詩を思い出しました。
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「身代わりシステム」
笹田雪絵
代われるものなら代わってあげたいなんて言われることあるけれど、
世の中そういうシステムがなくて良かったと思います。
だってもし私が誰かと代われるとしたら、
誰にこの病気あげていいか分からないもん。
たとえ犬にあげたとしても、
その犬が今の私と同じようにしてると思うと、
どうしていいか分からず、
その犬を一生抱っこしてあげなければ気がすまない。
かといってアリにあげたとしてもやっぱり嫌。
物語に出てくる働き者のアリだからしんどくてもきっと働くのだと思うのです。
そんなの見てられない。
毎日どうしてるかなって気になってしまう。
私が毎日アリに砂糖を運んであげたい。
ということで、この病気は誰にもあげられないのです。
あげてもいいのにあげられないのもくやしいので、
そういうシステムがないのには感謝してます。
でも母に、もし目が見えなくなったら片目くれる?
って聞くと喜んで「あげる」と言います。
私の目はもらったりすることはできないけれど、
それをお互い知っててそう言います。
なんて答えるか知っててそう聞いて、
そして期待通りの返事が返ってくると私はそれだけで充分満足なのです。
誰かが私の代わりに病気をするのはちょっと無理。
この病気は私にしかつとまらないわー。
なんてちょっと大仕事をしているかのような私でした。
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☆ 2012年12月8日
山元加津子さん&紙屋克子さん講演会のご案内です。