「石だった私 言葉で咲く」 つたえたい〈上〉

「わたしは、この記事が一面のトップだったということが、
本当に感慨深いのです」  
と、かっこちゃんは言っています。


東京新聞2月19日一面のトップ記事が、
「白雪姫プロジェクト」にもアップされていました。


「石だった私 言葉で咲く」
            −つたえたい―言葉を得た重度障害者たち(上)


身体をほとんど動かせない重度の障害がある人たちは、
簡単な言葉でしか理解できないと考えられてきた。
しかし周囲の手助けによって、伝える術を手に入れた人たちの活動から、
豊かな内面の世界が明らかになりつつある。
ときに切望の中で紡がれた言葉は、
東日本大震災後を生きる非飛び地の心にも強く訴えかける。

・・・・・
 東日本大震災から7ヶ月を経た2011年10月28日。
仙台市の大越桂(24)は通所施設から帰宅すると、
野田佳彦首相(当時)の所信表明演説の録画に耳を傾けた。

    嬉しいなという度に
    私の言葉は花になる
    だから あったらいいなの種をまこう
    小さな小さな種だって
    君と一緒に育てれば
    大きな大きな花になる

復興への決意を語る演説の締めくくりの場面。
その詩は、自分の作品「花の冠」の引用だった。
同市内の音楽家の依頼で書いた復興支援の歌。
「怖い言葉を使わず、優しい言葉で小さい人も歌えるように」とつづった。
「大切なところで読んでくれたんだなあとジーンとした」
幼いころから音への感覚が鋭かった。

819グラムの小さな体で生まれ、重い脳性まひで目もよく見えない。
だが、子育てに戸惑う母紀子(51)も、
娘が絵本の中にリズム感がある音や、生活音に敏感だと感じていた。
9歳のとき、嘔吐の発作をくり返す病気を併発。
肺炎もくり返し、13歳で気管切開をした。
わずかでも意思を示す手段だった声を失った。
特別支援学校の先生の勧めで、直後から少し動く左手で、筆談の練習を始めた。

入院先で、ペンを持つ手を母に支えてもらいながら、紙に字を書く。
二人三脚の特訓。
十分間かけて「かつら」と書くと疲れで吐いた。
でも必死だった。
みんなが話すことを分かっているのに、自分の言いたいことがたくさんあるのに、「石」になるのは悔しかった。

    海の底に眠る石は
    じっと隠れて潜んでいる
    海の深さに埋もれた闇に
    じっと隠れてそのときを待つ
                  (詩集より)

一年間の練習で字を書けるようになった桂は、
「つめ」と書いた後「ピンク」「みつこし」と続けた。
「ピンクのマニキュアを買ってきて」。
多くをベッドで過ごす自分に「生きている」と実感させてくれる爪。
大好きなピンクでおしゃれをしたかった。    
    
    おとめのつめはこころのいろ
    つめのいろは せかいのいろ
    つめのいろはいのちのいろ    

リビングに差し込む日差しの変化、
帰宅した家族が持ち込む、ひんやりとした空気…。
いつも全身をそばだてて感じ取る。
身の周りの小さなことに、輝きを見いだし、それを詩にした瞬間、
言葉は広い世界に飛びだつ。
詩集になり、歌になり、多くの人と自分をつなぐ。

「花の冠」は被災地のコンサートで歌われている。
見知らぬ人を励ますことさえできると知った。

    ことばはうまれて
    育って生きる
    大切 に大事にやさしくすれば
    みんなの心に種をまき
    ちゃんと芽を出し実をつける

「言葉は私を人にして、この美しい世界とつなげてくれた。相棒なのです」
                               (敬称略)
                    (2013年2月19日東京新聞


大越桂さんが母に向ける自然な笑顔は、周囲を優しい雰囲気にする=仙台市太白区で(写真はいずれも中嶋大撮影) 
母・紀子さん(右)と指を使った筆談でコミュニケーションを取る大越桂さん


かっこちゃんは
メルマガ第1296号「宮ぷー心の架橋プロジェクト」(2013年2月22日)で、
記事の紹介をした後に、このように書かれています。

・・・・・
わたしはこの記事が一面のトップだったということが、
本当に感慨深いのです。
前に柴田先生が、
きんこんの会が多くの方に知られるところとなったことなどについてだと思うのだけど、
「こんな時代が来るなんて」
ってぽつりとつぶやかれたのです。
私は柴田先生のおっしゃることがすごくよくわかりました。
重い障害の方や、寝たきりの方の多くが思いがないのだと多くの方が思っておられて、
それでも、柴田先生や、桂さんのお母さんがされているようなことをかつてされて来られた方があって、思いを伝える方法を子どもさんと一緒にみつけられても、
「うそだ」
とかあるいは、手を動かすことをひどいときには
「虐待だ」
とか、名前を売りたいのだとか、そんなことを言われてしまう時代があったのです。

だから、みんなが思いを持っているということを、
あるいは、思いを表出する方法を知らせることを、
報道の方も、やはりとても慎重になられて、なかなか大きく取り上げられるようなことはなかったと思います。
でも、本当のことはやっぱり曲げられるものではないのですね。

東京新聞の方も、おそらくはものすごく勇気を持って、
大切なことだからと、大きな記事として、取り上げようとしてくださったのだと思うのです。
だから胸がいっぱいになりました。
きっとこの方も、新しい常識を作って行こうとされる勇者のおひとりのように思いました。

昨日の臼田輝くんや津守先生や、柴田先生のことをとりあげられた記事も、
きんこんの会にも記者さんが来られて、
これは伝えなくちゃならないと思われたのかなあと勝手に想像して思いました。お会いしたこともないその方に心から感謝して、敬意の意を表したいです。
すごくすごくうれしい。
本当に涙が出るのです。