「しあわせ」の結晶

映像にも心が揺さぶられます。

「夢の雫」   作詞・西嶋貴丸  作編曲・塩入俊哉  ピアノ.塩入俊哉  
         歌・白井貴子   映像とコメント・翁長裕  


かっこちゃんの白雪姫プロジェクトとリンクしている西嶋さんのブログ「夢の雫」より、
「しあわせ」の基準 に続いて


「しあわせ」の結晶    5月6日


にしじまきよみしんじられませんがほんとうなのですね。
ざんねんながらひとりではなにもできなくなったけれどすべてりかいできていたのでこれでつたえられましたね。
ちいさいすまいですがここがいまのわたしのへいわなすまいです。
ここにはさいこうのしあわせがあります。
わたしはとてもしあわせものです。
なにももうのぞむものはありませんがなんとかしてかんしゃのきもちをつたえたかったのでうれしいです。
ちいさいしあわせかもしれませんがせかいじゅうのだれよりもしあわせです。
ちりもつもればやまとなるといいますがにんげんのしあわせってそういうまいにちのくりかえしなのだということらをつくづくじっかんしています。
そうわるいせいかつではありませんよ。
なにふじゆうはくそんなにきもちもしずみませんよ。
あなたのほうがしんぱいでしたよ。わたしよりも。
でもこれですこしほっとしたわ。
なかなかいえなかったことだったからいえてだいぶらくになりました。
もりもとさんもありがとうございます。
わざわざひつだんのれんしゅうにきてくださって。
できそうなきがしていますからすこしやりませんか。


柴田先生が、オリジナルの文章データをメールしてくれました。
僕は先生の来る数日前から妻に「柴田先生という、言葉を引き出してくれる名人がくるから、自分の中で、言いたい事をしっかりと考えておいてね!」
と何度も言っておきました。
だから、妻の言葉の出だしが、
「信じられませんが本当のことなのですね?」・・・から始まったのは、
妻が僕の言葉をしっかり理解していたということを証明する衝撃的な言葉でした。僕は何度も何度もこの妻の言葉を繰り返し読み返しています。
読む度に、涙が止まらなくなります。
彼女はいつも僕のことを心配してくれていました。
毎日どんな思いで僕のことを見ていたのだろう?と今考えてみると、
妻は僕が乗り越えていない壁をとっくに乗り越えていて、
子供を眺めるようにハラハラしていたのだろう。
気持ちを伝えられたことは妻にとってもホッとしたことだったでしょう。


かなり以前から、すべてを冷静に見つめて、自分の状況を把握し、
その中に「しあわせ」さえも見つけ出していました。
それも「小さなしあわせですが世界中の誰よりしあわせです」と豪語しています。
事前に考えていた台詞でしょう。
すごい女と結婚したものだと思います。


何でこのような詩的な表現が出来るようになったかを考えてしまいます。
とても少ない言葉数の中にインパクトがあります。
<塵も積もれば山となる、人間のしあわせは毎日の積み重ねだと実感している>・・・
これも、本当に実感していないと、出てこないフレーズでしょう。
きっと僕が会社を辞めて、毎日、リハビリやら特訓やらをジャンジャンやらかすわけですから、それを面白がってくれているようです。


昔、子供が2人になったとたんに、テレビ局系列のとてもいい会社にいたのですが、もっと仕事の幅を広げたいというだけで、次の仕事も決めずにポンと会社を辞めてしまったことがあります。
その時も、「あーあ、この人は何を言ってみても無駄だな」と、
それについて一言も言及しませんでした。
子供二人をつれて危ない橋を渡る僕を笑って眺めていました。
しかし、当然その中でも心配するわけです。
今回もきっとそんな感じだったのでしょう。
この妻の文字を一文字づつ読んだ日から僕の心は“泣き笑い”した変な顔になったままです(笑)


実はこの3年間、僕の方がずっと不安だったことがあります。
それは妻は「絶望」の中で生きているのではないか?という不安でした。
僕なりにはいつも明るい顔で、とにかく元気づけに行き、
絶対に一人だけになんかさせないということを、
会いにいくことや、歌を作る事で理解してもらいたいと思っていました。
しかし、それでも僕の不安は拭えませんでした。
仕事をしていても、何をやっていても、心の奥底にそんな不安、、、
というより“恐怖”と呼んだほうがいいと思うけど、そんな感覚をいつも抱えて生きて来ました。


因幡晃さんの歌「ベッドサイド」は、妻が倒れた時の僕の気持ちを素直に妻に届けるための歌でした。
白井貴子さんに歌ってもらった「夢の雫」を作ったことの動機は、
妻が感じるであろう「絶望」を、僕は一緒に歩くのだという宣言をすることで、暗闇の孤独から救い出すつもりで書いたものでした。
次男が歌った「僕たちのルール」は、
“あきらめないこと”をテーマに、やり続けることをお互いに約束しようと作った歌です。


いつも僕は必死だったのですが、それは自分の中の“恐怖”を相手に独り相撲をしていたようなもので、
妻は、これらの楽曲、歌を聞けた事を、病気になったからこそ味わうことが出来た「しあわせ」と位置づけていたのです。
すでに自分の中での「絶望」を、最悪の状態を正面から受け入れた上で、
既に次のステップへ進んでいて「しあわせ」まで手にいれていました。
本当にびっくりしました。
そして、それを知った瞬間に僕の中の“恐怖”は消えました。
それどころではないのです、僕が“恐怖”に囚われている間に、
とっくに妻は先を歩いていて置いて行かれていたわけで、これからは小走りで追いつかなくてはなりません。
こういう事実を知る事が出来て、はじめて僕は精神的に安定することが出来たと思います。
妻は腹を据えて人生を見つめ、哲学を導き出しているのに対して、僕は自分の稚拙さをはずかしく感じますが、今後はこれで血圧も安定してくると思います(笑)


“言葉”、“文字”という伝達ツールがこの世に存在していて本当に良かったと心から思います。
白雪姫プロジェクトを知り、ブログを書き始めて、かっこちゃんと宮ぷーへ会いに行き、守本さんご夫婦と知り合い、
さらにPCを含めたテクノロジー、柴田先生のような研究者、、、、
信じられないことの繋がりの連続により、3年3ヶ月ぶりに、妻の心の言葉を知る事が出来ました。


妻は運動機能をなくし、遷延性意識障害植物状態)と呼ばれる人間となり、このことがこの全ての人たちとの繋がりを作る事となりました。
妻はそれを<人間の交差点に自分が立っている>というような表現をしていました。植物状態になり、それがきっかけで、人と初めて知り合う。
それが、柴田先生であり、守本さんご夫妻だった。
表現が面白いのは、本当にそう思っているからでしょう。
妻の言葉はこの3年で非常に洗練された印象を受けます。
全ての運動機能を奪われてしまった中で、人間とは何か?を考え、
心の底からの「感謝」を感じ「しあわせ」を見つけました。
柴田先生には冗談さえも、伝えていました。


言葉に出来ない感情さえも、きっと自分の中で言葉に変換してみたり、
その言葉の感触は自分の感じている感覚としっくり行く表現か?など、
様々な作業が昼も、眠れない夜も、常に行われていたのではないかと思います。そんな中で「しあわせ」にたどり着いたのでしょう。
これは、ある意味では人類はいつだってすぐに「しあわせ」を手に入れる事が出来ることの証明ではないでしょうか。
僕らはいつも都合の悪い事は他人のせいだと言い訳をします。
しかし、すべては自分の中にあることだと、妻は悟ったのでしょう。
仏教の「唯識」もハワイの「ホ・オポノポノ」もこれについては、同一見解のようです。


不幸も幸福も、すべては自分の中にある。
その「しあわせ」の結晶がこの美しいひらがな文字の集合体です。
妻からこのような哲学を学ぶ日が来るとは思いませんでした。
このひらがなが、一文字づつ打ち綴られて行った瞬間を、
僕は一生忘れないでしょう。


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