松井秀喜さんのこと


5月7日(火)のクローズアップ現代、なにげなく見ていたら、
松井秀喜とともに闘った“同級生”たち』でした。
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松井秀喜選手が引退表明をした去年12月以降、
「自分は松井ほど人生を懸命に戦っただろうか」
というメッセージがネット上にあふれた。
書き込んだのは松井と同世代の3〜40代。
共感を寄せたのは、スーパースターとしてより、
怪我やスランプに苦しみながらも野球選手としての職務を全うしようとする松井の姿だった。
背景にあるのは“失われた20年”と松井選手の現役生活が重なっている点だ。バブル崩壊からリーマンショックまで常に苦難の時代に直面した松井世代。
困難を乗り越えようと闘う松井選手の姿は彼らの生きる支えになってきた。
時代に翻弄されながら人生という打席に立ち続けた松井世代。
松井選手の歩みをたどりながら、彼らの生きた時代を読み解く。
出演者 伊集院 静 さん (作家)
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そして、かっこちゃんのメルマガ
第1372号宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと (2013年5月9日)は、
『松井選手の生き方』でした。


宮ぷーのお家に外泊した日に、松井選手と長島さんの国民栄誉賞の授賞式がありました。
宮ぷーも真剣に観ていて、何度もその放送があるたびに観ていました。
国民の みなさんが喜んでおられた日だとも思いますが、
私たち石川県人にとって、それはやはり特別にうれしいものでした。
昔むかしに書いた文章ですが、
HP 「たんぽぽの仲間たち」のもくじをクリックすると、「宇宙の秘密」というところがあります。
そこは「本当のことだから」 の原稿のもとになったものです。
その中に松井選手のことを書いた文章があります。

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22 松井選手の生き方
暮れのNHKのBS放送で、ヤンキースの松井選手についての放送がありました。 選手としての功績ということではなく、作家の伊集院さんが、松井選手とおつきあいしながら、松井選手の人柄について、報道していくという番組でした。
番組のあいだじゅう、涙がとまりませんでした。
どうして、どうして、こんなに心を打たれるのだろうと思うほど、
心が揺さぶられて涙がとまりませんでした。
番組の中で、松井選手はいつもとても謙虚でした。


伊集院さんが「僕の好きな松井 選手の写真がある」と言うのです。
それはバッターボックスに入るときに松井選手が、
キャッチャーや審判の人に笑顔で挨拶をしている写真だと。
松井選手はいつだって、敵であるはずのキャッチャーにも、審判員にも挨拶をして、バッターボックスに入ると言うのです。

彼の周りには、日本にいるときはもちろん、アメリカにいるときにも、いつも報道記者がたくさんいます。
時には「一人にしておいてほしい」と言いたいこともあると思うのです。
でも、いつもいつも松井選手は、インタビューをしている人にもとても謙虚で誠実です。
調子のいいときだけでなく、悪いときにもいつでもそうです。
私はそんな松井選手の様子を見ていると、
「人は人に誠実に向き合っていくべきなのだ、
誰であろうと、相手に対していつも敬意を持って接するべきなのだ」
という気持ちを、松井選手が心がけているというよりは、
松井選手をかたち作っているのだという気すらしてきます。


私と、松井選手の故郷は同じ石川県です。
私が住んでいる小松市と、松井選手の生まれた町、根上町(現・能美市)はすぐお隣です。
地元の少年たちにとっても、松井選手は大きなあこがれの存在です。
それは今に始まったことではなくて、松井選手が巨人に入って活躍していたときや、いいえ、それ以前に高校野球で活躍をしていたときからそうだったと思います。
まだ松井選手が巨人に入団して、2、3年しかたっていなかった頃じゃないかと思います。(その当時の)私のクラスの松崎くんは、松井選手の大ファンで、
毎日のように、前の日の松井選手の活躍について話してくれました。


松井選手の実家のお隣に「松井野球の館」(現「ベースボールミュー ジアム」)があります。
中には、松井選手のユニフォームや、優勝旗や写真などが飾られ、
そこに松井選手ゆかりの地元の企業が作っている商品(松井ゴジラサブレ、カップなど)が売られていました。
松崎くんが野球の館によく顔を出すので、松井選手のお母さんが松崎くんに声をかけてくれたのだそうです。
「松井をそんなに好きでいてくれるの? 今度名前入りのサインボールをもらっておいてあげるね」
そして約束通り、松井選手が地元に帰ってきたあと館を訪れると、
サインボール をプレゼントしてもらったのだそうです。
松崎くんは本当にうれしそうでした。
目を輝かせて、「お礼の手紙を書きたいから教えてね」と言いました。

 
お礼の手紙のお返事が松井選手から届いたのは、松崎くんが手紙を出して間もな
いときでした。手紙には
「夢を持つことは、夢をかなえるための原動力になるから、 夢を持ってがんばってほしい、応援しているから」
というようなことが書かれていま した。
お正月やお盆になると、松井選手が地元の子どもたちのために、根上町の大きな会場で、ファンの集いを開催してくれます。
松崎くんは握手の長い順番を並んで、自分の番になったときに、
あらためてボールのお礼を言ったのだそうです。
「あのね、松井選手、僕の出した手紙を覚えていてくれたんだよ。
がんばってるからというと、そうか、よおしって頭をなぜてくれたんだよ。
僕の本当のお兄さんみたいだよね」
ってこれ以上ないほどうれしそうな笑顔で話していました。


私の住んでいる家の近くの小学校にも中学校にも、松井文庫と呼ばれている本棚があります。そこには名前が書いてあるわけでないのだけれど、
「松井選手からのプレゼントなんだよ」と子どもたちは言います。
「いつからあるの?」
「う〜んと昔から。今、大学生のおにいちゃんの時からあったんだって」
松井選手はそのことを公表されてるわけではないのだそうです。
それでも、みんなはそのことを知っています。


テレビの中では、松井選手が書いた手記についても放送されていました。
「今、いじめられている子どもたちへ」というような題で、松井選手は、死を選ぶことは絶対にしてほしくないということを書き、
「どうしようもなくなったら、僕に手紙をほしい」
と書いてあって、実際に松井選手のところに手紙も届き、
そしてまもなく松井選手から、返事が届けられたというのです。
どんなに練習などでいそがしくしておられるかと思うと、胸が熱くなります。
それから、あまりあきらかにすることを松井選手は望んでいないけれど、
10人もの子どもたちの里親をしているのだということでした。
松崎くんに対しても、優しい心をかけてくれたように、
松井選手はその10人の子どもたちにも、
きっと、生活を金銭的な面から助けるということだけでなく、
どんなにたくさんの優しい気持ちを持って接しておられることだろうと思うのです。


伊集院さんが、インタビューの中でとても心に残ったことがあったのだそうです。
「君は人の悪口を言ったことがないと聞いたけれど、それは本当かい?」
松井選手は
「はい、そうです。中学2年生から、人の悪口は言っていません」
ときっぱりと言ったのだそうです。もう一度、
「本当に悪口は言わないの?」
と尋ねられた松井選手は重ねて、まっすぐに前を向いて
「はい、言いません」
と話したということでした。
 何をしていても、いつもいつも好調だとはかぎらないと思います。
アメリカのメジャーにいて、不調な時期が続いたときも、松井選手は自分が打つことより、チームのために自分が何ができるかを考えて、精一杯の守備を見せたのだそうです。
マスコミにもたたかれても、そんな松井選手を監督さんはとてもかわいがっておられて、「彼は、とても誇り高い若者だ」と言っていました。
松井選手は優しいけれど、優しいからいっそう強いなあ、誰よりも強い人だなあと思います。


 彼がきらいなものは「人と人が争うことですね。戦争は嫌いですね」と言っていました。どの言葉からも、彼のあふれるような優しい気持ちを感じました。
 きっとたくさんの人が、この番組を見て心を動かされたことでしょう。
それが証拠に、暮れに見たこの番組はリクエストの多かった番組の再放送だったのです。


人が変われるのは、演説を聞いたり、人はこう生きるべきだというような本を読んだりした時ではないかもしれないと思いました。
誰かに生き方を押しつけられても、人は心を動かされたり変わったりすることができないのかもしれません。
誰かに伝えようというつもりでなく、人が真摯に生きている姿を見て、
初めて人は心を動かされ、変わることができるのかもしれません。

雪絵ちゃんの生き方に心を動かされるのも、同じかもしれないと、ふと思いました。
大きな宇宙は、ときどき、そんなふうに素敵な人を私たちの周りに用意してくだ
さっているのかもしれません。
そして、その素敵な方と出合えたときは、自分が変わることのできるチャンスなのかもしれないと思ったりしました。
暮の地元のテレビに、松井選手がお正月を地元で過ごすために、小松空港に降り
立つ姿が映し出されました。
あいかわらずのたくさんの人だかりの中、松井選手は
「(何日か地元で過ごすので)姿を見かけたら、声をかけてください」
と優しい笑顔で言われていました。
誰に対しても誠実な松井選手の一面がまた、そこにもありました。
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もうずいぶん昔に書いた文章ですが、お人柄は本当にどんなに有名に成られてもきっとかわらずにいて、アメリカの選手の方も松井選手のことをみなさんが大好きと言っておられましたね。
日本人として、松井選手と同じ日本人だということはとてもうれしいし、
誇りを持って、恥じないように生きていきたいです。
かつこ


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