「桜の花びらとおんなじ色やったね」

「桜の花びらとおんなじ色やったね」
なんてやさしい大ちゃんのまなざしでしょう。

「もしかしたら相手の心は自分の心の鏡なのかもしれないですね」
かっこちゃんの言葉が心に残りました。

かっこちゃんのメルマガ第1704号
「宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと」(2014年4月5日)より引用させて頂きます。

 
(前略)
養護学校ですごした時間に、宝物のような出会いがいっぱいありました。
原田大助くんは4冊も詩集をだしています。
大ちゃんは、最初は目も合わなくて、ことばもちぐはぐで、少しもわかり合えないと思ったのです。

 ある日のこと大ちゃんが、
「風が吹いたみたいに 思い出したんや、
あのときのピンクのセーターは どうしたんや」
と遠いところを見る目をしながら言いました。
「え、どの時? ピンクのセーターなんて私、着てたっけ?」
「桜の花びらとおんなじ色やったね 」

そんなセーターを持っていたかしらとアルバムをめくっていて驚きました。
まだ大ちゃんと会ったばかりのころ、お散歩に出たときの写真の中に確かにピンクのセーターを着た私がいたのです。
そのセーターは洗濯して縮んでしまって、二度と着ることがなかったのです。

会ったばかりのあのとき、大ちゃんは私がそばにいることがとても迷惑なようでした。
目も合わず、心を閉ざして見える大ちゃんと歩きながら、私の気持ちはとても沈んでいました。
大ちゃんは私のことが嫌いなのだろうか、ずっとこのまま分かり合える日はこないのかしらとうつむきながら考えていたのです。
大ちゃんはずっと見つめていた私の視線をさけるようにしていたのに、
でもあの時も私のことをしっかりと見ていてくれたんだと何年もたったそのときになってやっと気がつきました。

白と間違えるくらいのあわいピンク色のセーターを、
「桜の花びらと同じ色だ」
と大ちゃんは見ていてくれたのです。

そして6年もの長い間、しっかりと心のタンスにしまっていてくれたのです。
私はあのとき、
(私はこんなに仲良くしたいのに、大ちゃんはいつも逃げてばかり)
と大ちゃんのことを責めていたのかもしれません。
だからなお大ちゃんは私から逃げていってしまっていたのです。

子供たちが心を閉ざしているように見えたとしても、それはたいていの場合自分の心が映っているだけなのかもしれません。
もしかしたら相手の心は自分の心の鏡なのかもしれないですね。
きっと大ちゃんは本当は私と仲良くしたいなと思っていてくれていたんだなと、しみじみとうれしく涙が出そうだったことを桜を見ると思い出します。(後略)
かつこ

「大ちゃんの詩」はこちらです。