「夢を見ることの出来ない人は・・・」

来客があるので探し物をしていたら、
当時の金沢市長・岡良一氏から、亡き義父へ贈られた色紙が目に入りました。

40年前の素敵な「書」でした。

五木寛之・作詞「金沢望郷歌」を書いた翌日だったので、びっくりしました。

五木寛之氏は、旧・社会党代議士(後に72年金沢市長)岡良一氏の娘で医師の、玲子さんと1965年に結婚、
予てより憧れの地であった旧・ソ連や北欧スカンジナビアを旅します。
帰国後は夫人の郷里・金沢に身を寄せました。

小説現代」2013年1月創刊50周年記念号冒頭に、
五木寛之氏の50周年特別寄稿「鵺(ぬえ※)の鳴く道---新人賞の頃のこと---」というエッセイが掲載されていることを、最近知りました。

1965〜66年、金沢に移り市内の高台
「小立野(こだつの)台地」に住んで間もない頃の思い出が綴られています。


『金沢の街を流れる二つの川、犀川浅野川にはさまれた台地が小立野である。
・・・ 夜明けがた、その(金沢刑務所の)塀の内側から奇妙な物音が涌きおこるのだ。
潮騒のような、屋根の雪が落下する音のような、不気味な音である。
私はながいあいだ、その物音の正体を知らなかった。
それが徒刑囚たちの早朝の天突き体操の掛け声だと教えられたのは、東山荘から転居した後のことだった。
・・・
黒褐色の刑務所の塀にそって歩きながら、(メディアの世界に復帰することに)まだ迷う気持ちをおさえることができなかった。
正直にいうとデビュー作以上のものを書く自信が私にはなかったのである。
そのとき頭の奥で奇妙な、ぬえの鳴声をきいたような気がした。
立ちどまってあたりを眺め回したが、どこにもそんな怪鳥の姿は見えなかった。ぬえがいないのなら、自分がぬえになるしかないな、と思い、
私はまだ雪の残る道を、東山荘へむけて背中を丸めて歩いていった。』


その後金沢刑務所は移転しましたが、
玲子さんと最初に住んだ『東山荘』のあたり、
五木氏が“背中を丸めて歩いた道”が、
兼六園へ向かうときの“私のウオーキングコース”にもなっているのです。

1966年に小説「さらばモスクワ愚連隊」が小説現代新人賞を受賞し作家デビュー、
1967年に小説「蒼ざめた馬を見よ」が直木賞
小説「青年は荒野をめざす」と、
金沢時代に華々しく文壇に躍り出たのでした。

※ぬえ(鵺)
夜鳴く怪鳥として知られ雉に似た虎鶫(トラツグミ)ではないかというのが定説。
古事記」「万葉集」から登場し、平安時代には寂し気で気味が悪く不吉な声として忌み嫌った。
平家物語」には得体の知れない妖怪・もののけとして登場した。

※Tpongさんが早速、
虎鶫(トラツグミ) を教えてくださいました。
どこか立山雷鳥に似ています。