「鈴木大拙と大地」

鈴木大拙館館長・木村宣彰氏(元大谷大学学長)による講演
「自由人鈴木大拙と大地」
をお聴きしました。(18日)
場所は金沢東別院真宗会館でした。

紹介された鈴木大拙の言葉から

「鳥は空を飛んでいるのではない。
大地の上を飛んでいるのだ。
大地から飛び立ち、大地に還ってくるのだ」

「思うように行かんことを思うようにしたいと思っている。
それが自由だと思っているが、その自由ということが間違っている。
吾々の本当の自由ということはそういうものではない。

本当の自由ということは、
現在与えられているところに満足して行くことであります。
現在与えられていることにおいて吾々が不満足と考える。
不満足と考えるから愈々思うようにしたいと思うのでありますが、
一体現在与えられているところの境遇というものが、
思うように行かんのであるか、思うように行っているのであるか、
よく静かに考えなければならんと思う」

「西洋の文明は積極的・進歩的かも知れないが、
つまり不満足で一生をくらす人の作った文明さ。

日本の文明は、
自分以外の状態を変化させて満足を求めるのじゃない。
西洋と大いに違うところは、
根本的に“周囲の境遇は動かすべからざるもの”
という一大仮定の下に発達したのだ」

また、鈴木大拙ノーベル平和賞の候補になったことにも触れられました。
これに関するネット記事が残っていました。

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1963年のノーベル平和賞選考で、金沢出身の仏教哲学者鈴木大拙が候補に推薦された詳しい経緯が、高崎経済大の吉武信彦教授の研究で分かった。
禅の思想を西洋で普及し 、
「東西間の生きる文化の懸け橋として国際平和に貢献した」との内容で、
吉武教授がノルウェーノーベル賞委員会が保管する選考資料を閲覧し、
推薦人となった東大教授のしたためた文書を確認した。

 推薦書などの資料は非公開指定が解かれる50年経過後も一部の研究者にしか閲覧が認められていない。
大拙と交流した研究者の著作などから候補となっていたことは分かっていたが、推薦理由の詳細は一般に知られていなかった。

 推薦書は1963年1月23日付で、大拙を高く評価していたという宗教学者、岸本英夫東大教授が英文で執筆している。
当時の文部省からノーベル賞の候補を求められ、大拙を選んだという。

 推薦書には、大拙が禅の普及を通して東西間の理解を進め、
世界平和に貢献している旨 の理由が展開されている。

 大拙が優れた仏教学者であり、禅の思想を西洋人にも理解しやすいよう説明した人物であると紹介。
1950年代後半から西洋で起こった「ブーム」とも呼べる一大文化潮流を生み出した功績をつづり、
この東西の相互文化理解こそが、国際平和につながると結論づけている。

 大拙の論文リストや略歴も添付され、
吉武教授は「他の候補者と比べても見劣りしない丁寧な推薦書で、岸本教授の深い思い入れが伝わる」とする。

 だが、大拙は最終候補者に残れなかった。
吉武教授によると、大拙が推薦された年は例年以上に多くの候補が上がり、
国際的にも著名な人物が多かったという。
審査の結果、この年は発足100年を迎えた赤十字国際委員会に落ち着いた。

 吉武教授は、
「国際平和に、より直接的に関わった候補が好まれたのではないか」
と推測した。
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                 (北国新聞2014年10月9日)