「抱きしめる」ことの大切さ

浅野川 いつもの通りにねじばなの群生地

かっこちゃんのメルマガ  第2157号
「宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと」(2015年7月2日)からです。

ときどき、ハートネットのピープルというたくさんの方のエッセイのページをみます。
昨日は大橋 広宣さんの「計算できんで何が悪いとや?」を読んでいました。
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profile
1964年山口県山口市出身。
地元の大学を卒業後、地方新聞社の記者を経て、独立。
現在はフリーの記者、イベント・番組ディレクター、司会者として山口県内で活躍している。
計算ができないなど、LD(学習障害)を持ち、全国のLDの子をもつ親の会ほかで講演活動も行う。
家族は妻と長男、二男、長女、二女の6人。

大橋 広宣「計算できんで何が悪いとや?」  
「抱きしめる」ことの大切さ ‐妻のこと 2‐

(前回からのつづき)
当時も、僕はちょくちょく講演に呼ばれていた。
そのころ、結婚できていい気にもなっていたのだろう。
仕事もすこぶる順調で、僕は「俺は、完全にLDを克服した」と思いあがっていた。恐らく、講演の内容も“上から目線”ではなかっただろうか。

それが、とんでもない落とし穴があった。
講演した翌日は、必ず子どものころにいじめられた経験がフラッシュバックのように思い出されるようになり、ちょっとしたことで僕は大声をあげたり、
目の前の物を壊したり、暴力的な衝動が抑えられなくなっていた。
そんなことは、実際にいじめられてキレまくっていた小学生や中学生のころ以来である。

ちょうどそのころ、長男が生まれたばかりだった。
上司からかかってきた電話にキレた僕は、思わず携帯電話をその長男に投げつけた。間一髪、携帯電話は長男の横をすり抜けた。
そのときだ。妻が背後から僕を抱きしめて叫んだ。
「それだけはやめて!傷つけるなら、私を傷つけて!」。
僕は涙が出た。
「そうだ、家族を傷つけるわけにはいかない」。
同時に、妻が、亡くなった母親代わりになっていることにも気づいた。
いつも傷ついても「お前は、いい子だよ」と励まし、抱きしめてくれた母。
僕が自己肯定できる自分になれたのは、父の理解と、母のハグ(抱きしめること)なのだ。
「そうだ、今は妻が抱きしめてくれる」。
抱きしめてくれる存在は、今はいないと思いこんでいた。
「よし、これでまた頑張れるかな」と思った。

それから、しばらく講演をやめた。
LDのことを語ることも、しばらくお休みした。
発達障害である自分をしっかりと見つめ、自分の弱さを受け入れながら、目の前の仕事と、家庭生活をこなしていくことに専念した。
妻も、そんな僕のことを理解してくれ、よく支えてくれ、以前にも増して「抱きしめて」くれたように思う。

それから数年経って、ある他社の新聞社の記者から取材を受けた。
彼とはよく現場でも一緒になって、いろんな話をする仲だった。
若いが、様々な問題に正面からぶつかる、好感が持てる記者だった。
実は、弟が発達障害なのだという。
「是非、特集記事で大橋さんを取材させてください」と熱心に言う。
「もう大丈夫かな」そう思った僕は、久しぶりに自分のことを、彼に語った。
その記事が、「ハートをつなごう」スタッフの目に止まって、僕は番組に出演し、このブログを書くようになって、再び講演もするようになった。

今度は講演の翌日、辛いフラッシュバックも起こらない。
それどころか、講演すればするほど、あれだけ無理解だったと思っていた小学校時代の先生たちの行動に、
「今、 思えばあれは優しさだったのでは」と感じられる部分を突然思い出したり、父親や母親の励ましの詳細に気づいたり、いいフラッシュバックが起き出したのである。
これも、全て、妻のお陰である。
今は、全身全霊で子育てにぶつかっているが、最近、多少疲れ気味である妻に、僕も仕事が忙しく、なかなか会話をする時間が持てない。

一昨日、講演先で「奥様と着てください」とペアTシャツを頂いた。
そのTシャツを、昨日の風呂あがりに、何となく着てみた。すると、妻がもう一つのTシャツを着てきた。
「どう、パパとママ、似合うでしょ」と腕を組んで、4人の子どもたちに自慢する妻。
大笑いする子どもたち。
長男は「まったく、いい加減にしろよな」という表情を見せる。
「ああ、僕は幸せだ。この奥さんを、本当に大切にしよう」と思った。
でも、その直後、また疲れてすぐに寝てしまった。
そんな日々を送りながらも、今朝も妻に感謝しながら、この原稿を書いている……。
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なんて素敵なお話しでしょう。
なんて素敵なご家族でしょう。
胸がいっぱいになりました。幸せな気持ちになりました。
かつこ

白雪姫プロジェクト
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