『ぼくの命は言葉とともにある』

何想う 石垣の上に鎮座して


辻井伸行さんが出演された音楽番組があった同じ日に、
偶然かっこちゃんが、全盲、聾のお身体で活躍されている福島智先生のことを書いて下さってありました。
現在は東京大学教授ですが、その前は金沢大学にいらっしゃったので、
地元メディアによく登場していて、親しく感じていました。

かっこちゃんのメルマガ  第2245号
「宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと」(2015年9月28日)からです。

『ぼくの命は言葉とともにある』

金曜日の夜、真夜中、
何度か宮ぷーからテレビの操作ができないというメールが入りました。
宮ぷーは、一人暮らしをしていて、夜は、テレビを観て過ごしています。
たぶん、アン テナの向きとかが悪いのかな、
長い夜、なかなか眠れない宮ぷーにとって、テレビが見れなかったり、
チャンネルが変えられないのはつらいことだろうと思います。

私はそのときに、福島智先生のことを考えていました。
福島先生は、9歳で失明し、18歳で聴覚も失ってしまいます
そしてそのときに、
「宇宙空間に一人だけで漂っているような状態だ」と感じたと言います。
福島先生は今、東京大学の先生ですが、
その前は金沢大学の先生で、私はそのときに、先生と出会いました。

奥様が、私のおしゃべりを指をつかって、伝えてくださって、
智先生は、言葉でこたえてくださっていました。
僕は、手を離したとたん、宇宙に放りだされたり、
深い海に沈んでいるような状態になると言われました。

そしてそのあと、宮ぷーが倒れ、 白雪姫プロジェクトを始めました。
宮ぷーが何も思いを伝えられないときに、
私はなんどか智先生のことを考えました。

意識障がいの方は深い思いがあって、でも、伝えられない。
そして、テレビをつけたり、本を読んだり、人とお話することができないで、ベッドの上にねておられるとき、
自分の頭の中でずっと思考をし続けることしかできない・・・
今、宮ぷーは夜中、私にメールをしたりはできるのだけど、
レッツチャットにつないでいるスイッチが押せなくなったとたんに、
夜、何も出来ずに、ずっと不安の中にいたり、繰り返しいろいろなことを考えているのだろうなあと、なぜだか、夜中にそんなことを考えていました。

福島先生の新しい本『ぼくの命は言葉とともにある』 の書評です。                       評・松井彰彦(経済学者・東京大教授)

光と音を失っても

目が見えず、耳も聞こえなくなる。
それは「宇宙空間に一人だけで漂っているような状態だ」と著者は言う。
本書は9歳で失明し、18歳で聴力も失った盲ろうの東大教授の思索の道筋をつづったものである。

多くの少年のように天文少年だった著者は、小学三年生のときにお父様に天体望遠鏡を買ってもらう約束をする。
「しかし、それからまもなく私は失明してしまい、
二度と星の光を見られなくなりました」

その後、専ら音の世界で生きていた著者は、18歳で耳が全く聞こえなくなる。その極限状態で著者が最も大切だと感じたこと、
それは他者とのコミュニケーションだったという。
「私が最もつらかったのは、見えない・聞こえないということそれ自
体よりも、周囲の他者とのコミュニケーションができなくなってしまったということです」

お母様による指点字の考案によって、コミュニケーションの手段を取り戻す件くだりが素晴らしい。
指を点字タイプライターに見立てて、
「さ と し わ か る か」と打ち込むのだ。
 
高校の担任の先生の言葉も素敵だ。
「日本の盲ろう者で大学に進学した人はこれまでいないそうだけれど、
前例がないなら君がチャレンジして前例になればいいじゃないか。
君が大学進学を希望するなら応援するよ。
うまくいかなければ、そのときまた考えればいいさ」

 作家の北方謙三氏は「(福島)先生の言葉は、鼓動ですよ」
と述べたという。
その「言葉」の力を感じてほしい。
「『光』が認識につながり、『音』が感情につながる
とすれば、『言葉』は魂と結びつく」からだ。

 極限状態にいる人、そういう人を目の前にして、
何もできずに立ちすくんでいる人、
そういう人たちにとりわけ読んでほしい。
著者の言葉でしめくくろう。

「何があっても生きていれば、人生というテストに八十点から九十点は取れたようなものじゃないかと思います」

◇ふくしま・さとし=1962年、兵庫県生まれ。東京大教授。
盲ろう者として初の大学進学、常勤大学教員となった。