土の中には 見えないけれど いつもいっぱい種がある

春の花一輪咲いて冬来る


かっこちゃんのメルマガ 第2298号
「宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと」(2015年11月20日)から抜粋です。

前にブータンのことをフェイスブックに書かせていただいて、
あのとき、ものすごくたくさんの方がシェアしてくださいました。
せっかく出会えたたいせつな子供たちのこと。
ひとりじめしちゃだめだなあと思いました。
それでこの頃は、フェイスブック に、少し載せさせていただいています。

・・・・・・・・・・
私は特別支援学校の教員をしていました。
私が一緒に勉強した大ちゃん(原田大助くん)と出会ったのは中学一年生のときでした。
最初はなかなかわかり合えず、目も合わなかったのに、
仲良くなったあと、素敵な詩をいっぱい作ってくれるようになりました。

「秋の空気は つぶの すきまが 大きく見える」

「月は やっぱり さびしい目をしてる」

「もっと手ぎゅっとにぎったり さびしくなくなるかもしれへんから」

「土の中には 見えないけれど いつもいっぱい種がある
見えないけれど 時間がたって 緑の小さい 芽が出たら 
種があったと教えてくれるな。
時間がたてばわかることって いっぱいあるんや」 

ある雨の日、小学校の問題集をぱらぱらとめくっていると、
「雨は( )降る、雪は( )降る、風は( )吹く」の( )に、
<そよそよ、しんしん、ざあざあ>から言葉を選んであてはめるという問題がありました。
大ちゃんはどういうふうに答えるかなと思って、
大ちゃんに「雨は降るときにどんな音がすると思う?」と聞きました。

大ちゃんは「あっちの雨かこっちの雨か、そっちの雨か?」と言いました。

本当ですね、雨が土に落ちたとき、コンクリートのところに落ちたとき、
葉っぱの上に落ちたとき、みんな違う音をたてるし、
雨の降り始めと激しくなったときにも違う音をたてるのに、
私はそんな当たり前のことをすっかり忘れていて、
雨はざあざあ降るもの、風はそよそよ吹くものと決めつけていたのでした。
大ちゃんはお部屋の中にいても、
あっちの音、こっちの音、そっちに振る音と聞き分けているのだと思います。

子どもたちは、素敵な感受性で、自分の感じるままに、素敵な言葉で伝えてくれているのに、
私は、誰かが感じた言葉で、伝えるようにと押しつけていたのだと思いました。
大ちゃんはこんな詩を作りました。

「あっちで地面にぶつかり こっちで雨が地面にぶつかり 
ぶつかる音がいっぱいだから 雨の音は心に重いなあ」 

それにしても、大ちゃんやそれからきっとみずみずしい感受性でいろんなことを感じているだろう子どもたちにも、
私は雨というものはざあざあと降るものですよ、風はそよそよ吹くものですよ、と押しつけてしまうのは、とてももったいないことですね。

そして、もうひとつ思ったのは、雨は降る数と同じだけの降る音がある・・
人間だって同じですよね。 
みんないろいろ・・それなのに、私たちはすぐに男の人はこうあるべき、
高校生はこうあるべき、雨の音はこう、風の音はこう・・
そんなふうにひとつにくくることが身に付いているのかも知れません。

そしてもうひとつ思ったこと。
もっと大ちゃんや子どもたちのように、空や海や雲や植物や動物と仲良くなれば、
自分が感じたとおりのことを言葉にすることができるようになるのかもしれません。
・・・・・・・・・・

『土の中には見えないけれどいつもいっぱい種がある』原田大助共著 (金の星社 2001年)を読んだ時の感動を忘れません。

かっこちゃんこと、山元加津子さんのHPたんぽぽの仲間たちには、
大ちゃんの詩 のコーナーがあります。