その悔やみが胸にある限り


心に残る一節がありました。
私の気持ちにぴったりです。

・・・・・
人は過ぎてしまった時間には、二度と戻ることはできない。
波打ち際の濡れた砂を歩くのと同様に、
残したはずの足跡はすぐに波に洗われて消えて行くものなのだ。
それでも、もう少しましなことは言えなかったのかと思う。
短い弟の人生の中で、兄として弟への思いやりを素直に伝えてやりたかったと悔やむ。

その悔みが私の胸の隅にある限り、
私は弟とつながっているのかもしれない。
ー−そう、つながっていたいから、
人は立ち去った者へいつくしみの気持ちを抱くのだろう。
                     
                        伊集院静「東京クルージング」
・・・・・

・・・・・
(娘を亡くして)人は死んだ者はいかにいっても還らぬから、諦めよ、忘れよという、しかしこれが親に取っては堪え難き苦痛である。
時は凡ての傷を癒やすというのは自然の恵であって、
一方より見れば大切なことかも知らぬが、一方より見れば人間の不人情である。

何とかして忘れたくない、何か記念を残してやりたい、
せめて我一生だけは思い出してやりたいというのが親の誠である。

(略)折にふれ物に感じて思い出すのが、せめてもの慰藉である、
死者に対しての心づくしである。
この悲は苦痛といえば誠に苦痛であろう、
しかし親はこの苦痛の去ることを欲せぬのである。

              西田幾多郎藤岡作太郎著『国文学史講話』序」
・・・・・