おくりびと  (1)

先日、「納棺夫日記」著者の青木新門さんの講演を聴く機会がありました。

納棺夫日記」は、
本木雅弘主演映画「おくりびと」の原作といわれています。
映画は私も観てきましたから、お話が興味深く、とてもよかったです。

『同朋』1月号には、
青木さんの著書『いのちのバトンタッチ』(東本願寺出版部)について対談が載っていました。

__ 納棺夫をやめようと思った時が何度もあったそうですね。


青木  

はい。
一度は、妻に「娘が小学校でお父さんのお仕事は何ですか」
と聞かれたときに、「納棺夫と言うわけにはいかない」ということを言われたときです。
そこで辞表を出そうと思ったその日に、納棺に行ったんです。
玄関に着くまではわからなかったんですが、昔つき合っていた彼女のお父さんの納棺だったのです。
彼女は見当たらなかったし、ほっとして湯灌を始めたのですが、
いつの間にか彼女が私の横に座って、お父さんをなで、私の額に流れる汗を拭いてくれたんです。
帰ろうとした時、目に涙を溜めて一言もしゃべらないけれど、その瞳が私のすべてを丸ごと認めてくれているように思いました。
「父をきれいにしてくれてありがとう」「大事な仕事です」と語っているように感じられたんです。

__ それからまた、辞めようと思ったときに出会ったのが叔父さんの死で   したね。


青木  

叔父は、没落した家をなんとか再興してもらいたいといろいろ援助してくれたのに、結局大学も中退し、店の経営も倒産させ、死体を拭く仕事に就いたんです。
叔父は「親族の恥だ。すぐやめろ」と説教しました。
叔父が末期がんで入院していても、「あんなもん呼ばなくていい」と言っていたのです。
危篤で意識不明の状態なら行ってやろうと、身構えて見舞に行ったんです。
すると、今、意識を取り戻したばかりの叔父が、私が誰だかわかって、震える手を伸ばそうとしたのです。
叔父の目が何かを言おうとしているので耳を近づけました。
叔父は私を罵倒していたときとは全く違って、安らかな柔和な顔で、目尻から涙が流れていました。
叔父の手が私の手を少し強く握ったとき、「ありがとう」と聞こえました。
聞こえた瞬間、私の目から涙があふれ、「叔父さん、すみません」と両手で叔父の手を握って、土下座していました。
叔父は言葉にならない「ありがとう」を繰り返していました。
   私の心から憎しみが消えて、ただ恥ずかしさだけがこみあげ、涙がとめどなく流れました。   
その晩、叔父はなくなったのです。
叔父の方から震える手を差し伸べてきて、「ありがとう」といった。
人間としてこんなに深い姿、生死を抜けた姿を死の瞬間に見せられたのです。

人が死を忌み嫌ったりするのはみんな死の実相を見ないで、死後の死体を見ているからだと思っています。
私は生死を超えるということがわからなかったんです。
    
ところが現実にここに生死を超えた人がいる。
32歳の若さで亡くなった医師の井村和清さんが言っています。
「雑草が、電柱が、小石までが輝いて見える」と。
  
あらゆるものが差別なく輝いて見える世界に行かれ、なおかつ死の瞬間にみせる美しい安らかなお姿のお手伝いをしているんだと思うようになりました。
すると死体への嫌悪感がすっかりなくなり、死者に親近感を持つようになったんです。
   
結局、死者たちと親鸞聖人のみ教えの支えがあったから私は乗り越えられたのです。 
そのことを「納棺夫日記」に書いたのでした。(以下略)