ありがとう

[納棺夫日記]では、青木新門さんが憎んでいた叔父さんが、
最期に「ありがとう」と涙を流す場面がありますね。



郁代も時間に限りがあると知った時、不思議な光に出遇ったのでしょうか。

郁代の最期の言葉は、

「会いたい人、みんなに会えてよかった」

「お母さん、完璧やったわ。必要なもの、必要なことが、いつも直ぐに用意されていたもの…」

「ありがとう」

でした。

自分を肯定し、自分を生かしてくれた世界を肯定した言葉に聞こえました。


そうさせたのは郁代の力ではなく、賜ったものとしての、
「大いなる存在のはたらき」

「不思議なひかり」

にほかなりません。




郁代は残された時間に国内30人、国外30人の友人に会う「お別れの旅」を続けました。

発病前は、オーストラリアで働いていたのです。