迫りくる嵐の予感 (九)


(綽空が慕うのは鹿野ではなく、姉の紫野だった。
紫野は恵信と名を変え上京、綽空と再会する。)


迫りくる嵐の予感 (九)     親鸞  236   五木寛之


「恵信という名に変えられたのは、どういうわけだったのですか」
「胸の病が重く、いったんは死を覚悟したのです。
そのとき、はじめてお念仏が心の底から自然にわいてでてきたのです」
「自然に…」「はい」
法然上人さまの、
ただ念仏して浄土に往生するというお説法を何度もうかがい、
深く心をうたれました。
でも、いま思えば、そのときの念仏は、
自力で勤める念仏だったのではないでしょうか。

のちに越後へ戻り、死を覚悟したとき、気づかぬままに、
ふっと念仏が口からこぼれでてきたのでございます。
そのとき、はっきりと心がさだまりました。
これまでの紫野は死んだのだと。
そしてふしぎに病が快方にむかい、元気を取り戻したとき、
わたくしは生まれ変わったような心持でございました。
信心に目覚めたというのではなく、信心を恵まれたのだと感じたのです。
そこで新しく生まれ変わった自分に、
恵んでいただいた信心を生涯忘れまいと・・・」

「恵信と名のられたのですか」
「はい」

                  (新聞連載小説より抜粋)