異端の渦の中で(六)

異端の渦の中で(六)    親鸞    247   五木寛之


遵西(安楽房じゅんさい)は、まるで熱にうかされたように語りつづけた。
「よいか、綽空(しゃくくう)、わたしの言葉にまちがいがあったなら、
そういってくれ。
まず、仏(ほとけ)の道は、釈尊にはじまる。
釈尊は35歳にして天地自然の真実の法則、永遠の真理に目覚められた。
そのことを、悟りを得た、という。どうだ?」
「はい」
「そして以降、八十歳で行き倒れになって世を去られるまで、ひたすらご自分が悟られた真理を人びとに説き、語りつづけて生涯を終えられた。
無位、無官の一介の聖として。どうだ?」
「はい」
釈尊は世間のあらゆる人びとに語りかけられた。
国王から商人、農民、漁師、職人、遊女や盗賊にまで」
「はい」
「天竺には、数百の言葉があるという。釈尊は行く先々で、その地の言葉を用いて誰にでも語りかけられた。そして雨期をのぞいて、ほとんどの歳月を旅と説法の行脚ですごされた。80歳で世を去られるときも、旅の途中であったそうな」
「はい」
「残された人びとは大いに悲しみ、絶望し、それでも釈尊の言葉を思いだしては語りあった。釈尊と暮らしをともにし、つねにその教えを記憶しようとつとめていた弟子たちは、釈尊の言葉を詩のかたちで暗唱して人びとに伝えた。
これを偈(げ)という」
「はい。古くから伽陀(かだ)とも、偈佗(げだ)ともいわれてきました。頌(じゅ)とも、偈頌(げじゅ)とも申します。
一定の韻律をもった詩でございましょう」
釈尊は一行の文章も書かれなかった。その生前の教えは、当分のあいだはやさしい詩のかたちで、口承され、人びと伝えられた。
やがて、それらの偈(げ)を文字にしてまとめる動きがはじまる。経典の成立だ。そして時代とともに数万巻の仏典、経論が生み出される。誰もが憶えてうたえる教えの詩が、こうして学問になっていく」
「はい」
「そして、易業が、難行になったのだ」
「はい」 

                         (新聞小説