おくりびと (3)

 青木新門さんの講演は昨年もお聞きしたのですが、
今回はアカデミー賞受賞後のお話でした。

ということで、映画「おくりびと」の原作が
納棺夫日記」であることの違和感、
そして、本木雅弘さんへの賛辞が中心でした。
つぎのようなお話でした。



納棺夫日記」は
「今朝、立山に雪が来た」で始まり、

「帰命無量寿如来(とわのいのちと)
南無不可思議光(ふしがなひかりに帰依します)」で終わっているのです。

映画は本の前半、「納棺夫の日常」が内容になっています。
ところが、
本の後半は親鸞の「教行信証」から教えられたことが書いてあり、
これこそが私が書きたかったことでした。

「富山」では今も葬式の八割は浄土真宗で営まれ、
現場でいつも聞いていたのは「正信偈(しょうしんげ)」、
「帰命無量寿如来 南無不可思議光」でした。

納棺夫日記」は「富山」の風土から生まれた本であって、
映画のロケ地「山形」では決して生まれないものでした。
だから「原作者」を放棄したのです。

出版関係者から、「著作権放棄は問題である」との抗議がありましたが、
如来様が書かせた本だから「如来様に著作権がある」(笑)とつっぱね、
頑なに著作権を放棄しました。  
 
納棺夫日記」に書いたように、かっての恋人の瞳だとか、
叔父の「ありがとう」という言葉によって、
まるごと認められた様な気持ちになって、
立ち直っていくことができました。


がんの宣告を受けたときに、
「世の中がみんな光って見えた」と書いた井村和清さんは、
知合いの息子さんでお医者さんでした。
32歳で亡くなる3日前に、大学ノートに走り書きした文章を紹介します。


みなさんどうもありがとう
北陸の冬は静かです。
長い冬の期間を耐え忍べば、
雪解けのあと芽をふきだすチューリップの季節がやってきます。
ありがとう、みなさん
人のこころはいいものですね。
それらが重なりあう波間に、
私は幸福に漂い、
眠りにつこうとしています。
しあわせです。
ありがとう、みなさん
ほんとうに、ありがとう。


後に「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」という本になり、
テレビ、映画にもなりましたね。


そういうことか、死を受け入れたとき、
あらゆるものが差別なく輝いて見える世界に出会うんじゃないか。

納棺夫日記」の一番大事なところ、一番書きたかったところが、

「蛆も生命なのだ。そう思うと蛆たちが光って見えた」。


そう感じてからは、親鸞の「教行信証」もすっとわかるようになりました。


あらゆるものが差別なく輝いて見える世界へ行かれる方の、
お手伝いをしているんだ、と思うようになってから、
死者や死体に対して嫌だという感覚がなくなっていったのです。


私はなぜ、「納棺夫日記」の中に、
親鸞とか浄土真宗のことを書いたかというと、
浄土真宗の根本思想は「報恩感謝の思想」と言われているからです。
「報恩感謝」なんて難しいことを言う必要はないんです。
「ありがとう」でいいんじゃないかと思っております。



映画ができるまで十五年、
あきらめないで頑張った本木雅弘君は、すばらしい男です。
26歳で、インドのベナレスで撮った写真集を作った時、

「蛆も生命なのだ。そう思うと蛆たちが光って見えた」

という「納棺夫日記」の文を引用したいと言ってきたのが、
おくりびと」のすべての始まりだったのです。
自我を滅した生死一如の眼にしか蛆は光ってみえないのです。


おくりびと」は本木君が作った映画だと思っています。
アカデミー賞をきっかけに、
多くの人々が命や死に関心を持つようになった。
私は本木君に本当に感謝したいと思っています。(要約)


おくりびと(1)
おくりびと(2)