恵信の選択 (九)
全員の視線が黒面法師の手にもった針にそそがれた。
「よく見よ。綽空。この女にするか。それとも・・・こちらか」
綽空はうめき声をあげた。
「われら三人の目を、その針で突け。三人もろともに異国に売るがよい」
「なりませぬ」
恵信の声には、ふだんのやさしさとちがったきびしさがあった。
「綽空さまには、これからなさらねばならぬ大事なことがございましょう。お忘れですか。
懐から小石をとり出して、いつかおっしゃったではありませんか。
お山をおりたのは、
自分だけの悟りでは本当には救われぬ気持ちがあるからだ、と。
この小石、ツブテ、瓦のかけらのごとき人びとと共に救われてこそ、
自分は生きる意味があるのだ、と。
わたくしが綽空さまについていこうと思ったのは、そのときでございます。
その一念を、どんなことがあっても貫き通してくださいませ。
たとえ異国に遊女として売られようとも、
綽空さまのその志がむくわれるなら、
わたくしはよろこんでまいります。
どうか、わたくしを残して鹿野とお帰りくださいませ」
綽空は身もだえした。
かっと見開いた双眼から血がふきだしそうだった。
南無阿弥陀仏、南無聖徳太子、と思わず声にだしてとなえていた。
黒面法師の声がひびいた。
「どうだ、綽空。これほどのわたしでも、
それでも仏は救ってくれるのか。どうだ。
救われぬ、地獄へ落ちるぞといえば、助けてやる。
法然上人は嘘つきだといえばな」
(新聞小説 抜粋)