綽空から善信へ(七)

綽空から善信へ(七)      親鸞  295    五木寛之


「きょう、わたしは・・・選択集の書写をじきじきに許されたのだ」
念仏門をひらいた法然上人から、
選択本願念仏集の書写を許されたということは、
釈尊にはじまり、世親、曇鸞道綽、善導、とつづく浄土の教えの一人としてはっきりと認められたことになる。
僧としての戒を投げすて、妻帯し、世間の底辺に生きる人びととまじわり、俗中の俗の聖(ひじり)として生きている綽空である。
そんな彼に、
これほど深い信頼をよせてくれる師にはじめて出会うことができたのだ。


「きょうまで生きてきたかいがございました」
「恵信・・・」と、綽空がいった。
「かねがね考えておったことだが、
もう死んでもよいというほどうれしいということは、
すでに往生したと同じことではないのか。
わたしはいま、まぶしいほどの光に包まれている。
これは浄土にいるのと同じよろこびではないのか」
                       (新聞小説より 抜粋)