綽空から善信へ(十二)

綽空から善信へ(十二)       親鸞  300   五木寛之 

選択本願念仏集の書写にとりかかる前に、
綽空はくり返し、声にだしてその文章を読んだ。
読みすすむうちに、綽空は総毛だつような戦慄を覚えた。
既存の諸宗のすべてが否定され、
最後に仏(ほとけ)の本願によって選びとられた
念仏ただ一つがのこる。
つきるところは、声にだして念仏すること、
ただそれだけを説きつづけているのだ。


われらは末世の凡夫である。
罪悪の軽重をとわず、煩悩の大小によらず、
ただ仏の本願による念仏によってのみ救われるのだ、と、
一分の迷いもなく語られていた。
往生之業、念仏為本。


いまこそ、本当の法然上人の真実に触れたのだ。
その感激と自責の念で、
思わず涙があふれてくるのを、綽空はとめることができない。
幾夜ものあいだ、彼は一睡もせず、ものに憑かれたように筆をすすめた。
                     (新聞小説連載より抜粋)