綽空から善信へ(十三)

綽空から善信へ(十三)     親鸞  301  五木寛之 


選択本願念仏集をすべて写し終えたとき、
目もかすみ、意識はもうろうとしていた。
にもかかわらず、心の深いところにはっきりと輝くものを感じるのだった。
それは綽空がつね日ごろ、
ふり払おうとしても払うことのできない重い澱のようなものを、
ぬぐい去ってくれる煌々とした光だった、
自分の心の深いところにひそむ、黒い闇が、
その襞まではっきりと照らされている。


はじめて法然上人と言葉をかわし、
えがたき師にめぐりあったとおもったとき、
彼は闇夜に光を見たと感じたのだ。
光に出会ったと思ったのだ。
しかし、そのとき見た光は、外側からさしてくる光だった。


いま綽空が感じるのは、自分の内側の深い闇そのものが、
黒々と光りかがやいているのである。


易行と言うが、真の易行とは、
迷い傷ついた心が必死ですがりつく唯一の道なのだ。
いま、自分が感じている光は、すでにこの世のものではない。
これは浄土の光だ。


〈わたしが求めているのは、よく死ぬことではない。
重い闇をかかえて、それでもなお歓びにあふれて生きる道だ〉


法然上人が自分に綽空が選択集の書写を許したということは、
〈巣立てよ。みずからの道を歩め〉と、
はげましてくださったのではないか。

                        (新聞小説より抜粋)