どれだけの生き物のいのちを頂戴したか

御子息をなくされた高史明さんのお話を、公開仏教講座などで、
これまでに何回かお聞きしたことがありました。
もう一度、お聞きしたくなりました。


これは平成十六年六月六日に、
「こころの時代」 で放映されたものから抜粋したものです。



子どもに言っていた“自分中心の誤り”から、子どもが死ぬ。
その誤った私の自分と いうものは、
「生きとし生けるものの繋がりをいのちとしてみていなかった私」で ありました。

思えば、子どもが中学生になった時―死ぬ三ヶ月前、
三つのことを言ったんですね。


一つ目は、
「今日から君は中学生になるんだから、自分のことは自分 で責任を取りなさい」

二つ目が、
「他人に迷惑をかけるな」ということです。

三つ目が、
「自分のことは自分で責任が取れて、
他人に迷惑を掛けなければ、お父さんは何も言わない。
自分の人生 だから、自分の責任で生きて生きなさい」
とこう言ったんですね。


それが私の生き様でもあったわけです。



本当は、
 
  「自分のことは自分で責任を取れ」という前に、

「ここまでくるのに、どれだけ の人の働きを頂戴したか。
どれだけの生き物のいのちを頂戴したか。
他人に迷惑 を掛けないということよりも、
他人のお陰というものが先にあるんだ。
そのこと が分かって初めて他人と一緒に生きられる私になれるんだ。
そういうふうになっ た時に本物の人生が始まるんだ」と。


中学生になった時に、私はそういうふうに言うべきだったんですね。