綽空から善信へ(十六)

綽空から善信へ(十六)    親鸞  304  五木寛之



「わが仏法の真実をそなたにわたしたぞ、それを抱いて自分の道を往け、
と、おっしゃっておられるのだ。
恵信どの、もしも生涯の師弟というものがあるとすれば、
師、高弟、弟子、門下、といったつながりではなく、
易業念仏を説きつつ人びとの暮らしの底にそれぞれはいっていくところにあるのかもしれぬ。


旅立つことが真の師との出会いなのだ。
そのはなむけに、法然上人はわたしに、
あたらしい名前をさずけてくださったのだよ」


「なんというお名前を・・・」


「善信、というのだ。
そうだ。わたしは、心の深いところで、善ク信ゼヨ、と、
こだまのようにひびく声がきこえていた。
善信、善信。それがあたらしいわたしだ。
法然上人と出会って綽空となり、
いま、師と別れて善信となる。
法然上人は、わたしに選択集を托されて、
さあ、善信、往け、と背中をおしてくださったのだ。
わが教えを抱いてみずからの道を歩め、と」


新聞小説より抜粋)