遠雷の夏(六)

 遠雷の夏(六)          親鸞  310   五木寛之

良禅はいった。
「悪人、善人の区別さえつけないという考えのようにおもえます」
慈円はため息をついていった。
「なるほど、それは、とほうもなく危うい考えかただ」
良禅はうなずいた。
「善人、悪人の区別をつけないということは、
この世に生きるすべてのものは、
だれもみな心に深い闇をいだいて生きている、
ということでしょう。
それを悪とよんでもよい。
しかし、その闇をつよく感じる者と、ほとんど感じない者がおります。


だが、いつかはだれでもが向きあうことになる。
いま、念仏、念仏とさわいでおりますが、
あのなかに、本当に念仏なしでは生きられない者たちが、
どれほどいるのでしょうか。
吉水に群れ集う人びとの大半は世の中の流行で念仏している者たちでしょう。
ですから、念仏をおそれることはないのです。
むしろ真におそるべきものは、
あの善信が語っている言葉なのです。


われらはすべて悪人である。
と、彼は人びとに説いております。
その考えをそのまま受けとれば、高貴なかたがたも、
立派な僧たちも、貴族も、みな悪人ということになりましょう」

(新聞小説より抜粋)