徹子の部屋

徹子の部屋」をみました。
 今日のゲストは作家の五木寛之さんで、
徹子さんとは40年以上の付き合いがあるそうです。
昨年発売の小説「親鸞」が、
60万部以上のベストセラーとなり話題になっていることから、
トークはそのことが中心でした。


蓮如」を書いていたら「親鸞」という深い闇の森に迷いこみ、
導かれ、自分は書かされていたとおっしゃっていました。


今と同じような混乱の時代を悩み生きた親鸞の姿に、
鬱の時代の今、人々が惹かれるのでは・・・と。


ご自身も心柔らかい中学1年生のとき、
現在のピョンヤン終戦を迎え母が非業の死をとげるという体験をしました。
父は心が壊れてしまったと・・・。


このときの壮絶な体験はあまりにも重いものであったから、
表面上はにこやかに笑って過ごしてきたとのことです。


徹子「番組プロデューサーが、
   小説『親鸞』を読んで救われたといっていました。
   私は悩んだことがないんですけどね。ごめんなさい。
   ところで、『親鸞』の続きは書かれるんですか?」


五木「親鸞から呼ばれて、
   また読者のみなさんから、書いてくださいよ・・・との風がふき、
   促されたら書くでしょうね。自分から書くというよりも」



この秋から、新聞連載の後編が始まるのではないでしょうか。
前編は、流罪となり旅立つところで終わっていましたね。  


番組で紹介した本
   「親鸞(しんらん)」 上下巻       講談社各1575円

書名だけあげたもの
   「蓮如(れんにょ)われ深き淵より」    中公文庫 720円
   「人間の覚悟」              新潮新書 714円


前編の「親鸞を終えて」では、以前、
“他力のしからしめるところ”と次のように語っていましたね。


・・・・・

 あらためて考えるのだが、1つの物語が世の中に送り出されることは、
目に見えないさまざまな縁の驚くべき複雑な暗号の結果である。
正直なところ、
私は自分が一つの小説を書いたなどとは、毛頭思ってもいないのだ。
えらそうな言い方をすれば、
他力のしからしめるところ、ということになるだろう。
 目に見えない大きな力、つよい風が私をそこに運び、
新聞という広い舞台で自分でも予期しなかった世界に投げだした、
という感じがしてならない。

 
 私は親鸞の評伝を書こうとは思わなかった。
自分が親鸞の生きた時代の空気を呼吸し、
想像のなかで自由に動きまわる物語を語っただけである。
 

いずれ日をあらためて、機会があれば親鸞の後半生をぜひ書いてみたい。
そういう機会に恵まれるかどうかは、みずから計らうことではない。
他力の風を待ちながら学んでいくしかない。